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「9・11」90階の地銀支店、脱出10分後に職場が崩落…2001年9月[あれから]

読売新聞
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    ノンフィクション作家

    読売新聞。9・11の際、北棟の90階にいて、辛くも部下ともども生き延びた中国銀行の支店長の「あれから」。飛行機がつっこんだのは93階~99階。脱出の10分後に北棟も崩壊。「あれから」より「そのとき」がメインの原稿だが、この日にこれをあててくるのはなるほどと。

    この読売新聞の「あれから」は一人の女性編集者が担当している。

    毎回、水準が高いのは彼女のおかげ。


注目のコメント

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    (株)TOASU特別研究員(経済評論家・コンサルタント)

    「1993年にWTCの地下駐車場で爆弾テロ事件が起きたのを機に、オフィスの避難用具は拡充されていた」 
    2001年9月11日のテロで犠牲になられた多くの人々を思うと書き難いことではありますが、敢えて記録のために書かせて頂くと・・・
    1993年のテロ当時、WTCには多くの日本の銀行が入居していました。1WTCに信託現法のオフィスを構え、たまたま2WTCの44階(だったと記憶しています)のディーンウィッタ―証券を訪れていた私は“evacuation!evacuation!”と伝える館内放送に促され、避難階段に駈け込みました。避難階段には非常灯もなく、懐中電灯を持って避難した人々が照らす光の中を靄のように這い上がる煙に怯えつつ”Keep Going”と声を掛け合い、下に着くまで2時間以上もかかる渋滞を経験して脱出したのです。
    欠陥があるともテロに狙われ易いとも噂されていたビルだけに、1993年のテロを受け、多くの日本の銀行拠点が他所に移ることを検討し、私が勤めていた住友銀行をはじめ拠点を移した銀行がありました。その一方、移転にはそれなりの経費が掛かりますし、コアとなるテナントが次々と出て行くことを警戒したビルオーナーのポートオーソティティが魅力的な賃貸条件で引き留めたこともあり、検討しながら転出を思い止まった銀行もありました。事実、私が勤めていた銀行でも管財担当が止まることを主張して、拠点トップが本社を説得して条件の如何に拘わらず退去するとの決断をする一幕があったそう。
    支店長の英断で難を逃れた中国銀行さんは本当に幸いでしたが、時間帯が違って避難階段が渋滞していれば、それでも脱出は難しかったかも知れません。1993年のテロを受けた時点での判断が、在ニューヨークの日系銀行職員の2001年9月の運命を分けることに繋がりました。
    結果の知れない意思決定の難しさと重さを改めて思い起こさせてくれる記事でした。


  • すごい体験だ


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