米国の歴史には一定の法則性があります。経済が絶好調になると自由と民主主義を世界に広げるため世界に軍事介入します。しかし、歴史のある国家を簡単には変革できません。結局は軍事的にも経済的にも疲弊して撤退します。こうなると国内世論に押されて米国は内に引きこもって経済を立て直します。こうして米国が世の警察から手を引くと、独裁国家が世界の秩序を荒らします。そして10-15年もすれば米国の経済力が回復して再び自由と民主主義を広めるために世界に介入します。黄金の60年代の後のベトナム戦争と中東戦争、財政黒字まで出した90年代のIT革命の後のIイラク戦争とアフガン戦争。そして、2008年のオバマ、2016年のトランプ、そしてバイデンも内に引き籠る局面に入っています。2008年以降は独裁国家、中国は南シナ海と一対一路ライン、ロシアはウクライナや中央アジア、で世界の秩序を荒らしています。コロナ禍で世界経済が痛む中、米国だけは立ち直る兆しが出ています。もう少し経済を立て直すまで、バイデンは口では「America is back」とは言っても、実際は内に引き籠っています。トランプの時代に中国をもはや看過しない方向に舵を切りましたが、まだ国内経済の立て直が不十分なため、どこまで介入するかで逡巡しているというのが本当のところだと思います。アフガン撤退もこの文脈で理解すればよいと思います。
機内で異変に気づいた彼女は、夫へ機内から電話をしますが、西海岸との時差で早朝過ぎて、彼は気づかず留守電だけが虚しく残っていました。「電話に出て! 機内で何かが起きているけど、きっと大丈夫。帰ってくるからね。I love you」という言葉を残し、赤ちゃんと共にこの世を去りました。
初めて彼女に会った時、なんて聡明そうで綺麗、明るくて、素敵な女性なんだろうと抜群の好印象だったのを今でも思い出します。なぜ罪もない人たちが、命を失うことになるのか。あれから、何が変わったのか。コロナ禍でいかに「与えられている世界が、いかに美しく、有難いことか」を私たちは感じているはず。今を生きれることへの感謝で、世界中の人々が笑顔に溢れることを切に祈ります。Laurenの素敵な笑顔のためにも。
というのも、9.11後の市場の混乱を受けてFRBが金融緩和をやりすぎたことに加え、台頭してきた中国が米国債を買いまくったことで、その後FRBが利上げしても長期金利が上がらず、リーマンショックのきっかけになる住宅バブルを誘発してしまったからです。
ただ、リーマンショック後に欧米では大胆な金融財政政策を経験したことが、コロナショック後の金融財政政策を打ち出すのに役立ったと思います。
長い目で見たら、アメリカの軍事的介入とは無関係に、世界の民主的国家の数は増え続けています。韓国も台湾もスペインもポルトガルもギリシャもほんの数十年前までは独裁国家でした。
https://youtu.be/zkPOHB2rRkc?t=1242
人々が自由を求め、いづれ民主主義に至るのは自然な歴史の流れです。一時的な揺り戻しはあります。しかし、アフガニスタン も中国もロシアも、歴史の大きな流れに永遠に逆行することはできないでしょう。一方、アメリカが軍事的に介入したところで、この大きな流れを人為的に加速することもできなかった、ということでしょう。所詮はアメリカも中国も、ジェット気流の中を飛ぶ蚊のようなものなのかもしれません。
コメントのご質問の中で「もし、9.11のとき、オバマが大統領だったら世界は変わっていたのであろうか?」という点ですが、全く同じコースだったのではと想像します。
当時言われたのは「もしクリントンだったらどうだっただろう」という指摘でした。クリントンなら冷戦終結後の安全保障関連の縮小の中で自らが中東を含む様々な国際インテリジェンスを弱めた責任がもっと問われていたと思います。そもそもクリントン政権時の末期の2000年は、アルカイダが起こした米兵17人が死亡した米海軍駆逐艦コール爆破事件もありましたので、この事件と911の連続性、政権の責任がもっと問われていたと思います。
911がなければブッシュ政権は「思いやりのある保守主義」をさらに前面に出して、外交よりも内政の政権だったはずです。
いずれも「歴史のイフ」なので誰も答えは出ませんが。
その代わり、アジアや中東、アフリカで起きていた比較的小規模な戦争はかなり放置されてきたといえます。下手に介入してソ連との全面戦争につながることだけは、米国にとってあってはならないことでした。
冷戦後、1990年代から、ソ連が無くなったので、米国が積極的に世界中の戦争に介入してもだいじょうぶと思われた時期がありました。湾岸戦争なども、イラクのサッダーム・フセインは、米国が介入してくるとは予想していませんでしたが、米国は大規模な介入をしてきました。
米国の「世界の警察官」というイメージは、1990年代のこの時期に広まったものといえます。しかし、90年代後半には、米国も何のために世界各地の戦争に介入するのか、よくわからなくなりました。イラクのフセイン政権も存続したままでした。1993年には「平和創出作戦」と銘打ってソマリア内戦に介入しましたが、何の成果も無く撤退しました。米国は、1994年にも北朝鮮にも介入する一歩手前でしたが、ためらったまま軍事攻撃を実行できませんでした。
2001年9月11日に攻撃を受けたことは、米国が「自衛」のために外国に介入するべき、という方向に世論を動かしました。しかし、それは国同士の戦争を阻止する、という介入ではなく、「対テロ戦争」でした。何をすれば「テロの抑止」になるのか、よくわからなかったのですが、「中東諸国を民主化すればいい」というのが1つの基本方針になりました。この「民主化」という方針は実現することなく、シリアやイエメンのような長期の内戦、エジプトのような軍事政権ができただけでした。
元々、米国の積極的な介入は、90年代からの一時的な方針で、2001年に沸騰した世論に後押しされたものでした。これからは、大国間同士の関係を中心にした、従来の安全保障の発想にもどるでしょう。
このテロを期に、世界は大きく変わりました。アメリカは泥沼の戦争に突入していき、その裏では中国が急速に存在感を増していきました。もはや、アメリカでは「世界の警察官」という言葉すら死後だそうです。
この20年間、世界はどう変わり、そしてこれからどこへ向かうのか。テロをワシントンで目の当たりにし、アメリカ政治を研究する前嶋和弘先生の寄稿です。
2001年はいろいろな意味でターニングポイントであった事はご高論の通りにて別の論点を加えるならば、やはり中国だろう。
中国の歴史的なWTO加盟がまさにこの年に起きた。これを一つの転機として中国が世界に開かれ、その後当のアメリカですら見誤る大躍進を遂げて米中が拮抗するに至っている。
このように2001年を一つの契機としてアメリカは現在に至るまでまで中東と中国という、二つの大きな地政学リスクマネジメントという重石を背負わされるに至っている。
もうあれから20年。世界のパワーバランスも変わり、世界は平和になってきているのでしょうか。世界平和を願います。