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エイメイ学院ではオンラインで朝読書の時間を設けたり、保護者会で本の紹介をしたりしています。また塾の中に図書コーナーを作っています。先生たちも読書家が多いです。
そういった取り組みの中で、生徒たちは本を読む機会が多いのかなと思います。また、うちの塾は入塾テストなどありませんが、国語の偏差値がいちばん高いです。
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「家庭の蔵書数」について
検討すべき観点は多いと思います。

子どもが小学6年生・中学3年生時点ですから
①家に、本を置く十分なスペースがある
②家庭に、本を購入する金銭的な余裕がある
③親が読書している姿を見る機会増える
④物理的に本との距離が近く、本に興味を持つ可能性が高まる
というあたりが重要な観点かと思います。

①②は単純に金銭的な余裕も意味しますが
自身の資産を教養に投下する保護者ですから
・何か楽器の習い事をしている
・休日にミュージカルや劇などを鑑賞している
可能性も相当程度高いと考えられます。

当然、子どもの学習への投資や
保護者の関与度も高い可能性があります。

③④は読書時間の増加可能性を高める意味で
より直接的に学力に結び付く観点かと思います。

ただし、実際に子育てをしておりまして
蔵書して自分が読書をしていれば
自然と子どもが本に興味を持つなどという
甘い幻想はすでに持っておりませんので
やはり、親からの読書に関わる働きかけが重要であると思います。

また、今回の調査からは読み取れませんが
本と子どもの学力に関わる調査として
0歳~小学校低学年までの「家庭での読み聞かせ回数」
はどこかで実施したいと考えています。

様々な学校様や塾様にて生徒を観察しておりますが
9歳ごろには基礎学力の水準と
文字や本への関心度合いが決定している感覚があります。

0歳~小学校低学年ごろまで
子ども本人が文字からは習得し難い概念について
本の読み聞かせを通して習得することが出来ます。
(述部の習得等にも、ぜひ触れたいが長くなるので割愛。)

私の周囲の熱心な保護者層においては
図書館をフル活用して読み聞かせを実施しているケースも多い為
「蔵書数」以上に「読み聞かせ回数」に注目したいところです。

【余談】
今回の調査対象は小学6年生と中学3年生ですから
低学年までの読み聞かせ用の絵本はもうすでに
メルカリ行きになっているでしょうか。

我が家には読み聞かせ用に600冊ほど絵本がありますが
スペースが逼迫しておりますので
彼らを蔵書から卒業させられる日を心待ちにしております。
単純に「本の数」ではないでしょうね。
長年様々な子どもと家庭を見てきましたが、「後伸びする子」の一番のポイントは、「親・家庭の国語力」だと答えてきました。
親自身の正確な言葉遣い、親自身の要点化された話しぶり、豊かな表現力、家族で言葉遊びを大事にする文化などと並んで、「親自身が読書を大切にしているか」が、数理的思考力なども含めて大事な土台になる、と。
そういう本質の、一つの表れが「本の数」なのだと思います。
本を読む習慣が子供や親にあるかどうかが、子供の学習に影響するというのはそうだと思います。
特に、一字一句正確に理解しながら読む精読が、試験の点数に大きく影響すると言われますね。
ちゃんと文字を漏らさず読むには集中力が必要で、文章を正しく理解することは問題だけでなく授業を理解する力にもなるそうです。
子供に本を読みなさいというだけでなく、親が本を読む姿を見せることも大切ですね。
松岡亮二先生の発言の通り、国の調査で学力格差が出たことは大きいと思うし、こういったことをベースに政策的なことが議論できたらと思います。

「国の大規模な調査で家庭環境により学力に差がある事実が示された意味は大きく、困難を抱えている子どもの実態を踏まえ政策を議論してほしい」
この記事を読まれて「じゃあ、家に本を置こう」と思う方もいらっしゃらないでしょうし、記事にもあえてクエスチョンマークがついているのに皆さん気づかれると思います。

ヘッドラインは短くしないといけないので仕方ないことだとは理解しますが、一部だけを切り取って報道している可能性、相関関係と因果関係が混同されている可能性は気になります。

下記、もしくはそれに類する文科省報告について言及されているのではないかと思います。

-----------------引用始まり-----------------
保護者の子供への働きかけについては,次のような家庭で子供の学力が高い傾向がある:「テレビ・ビデオ・DVD を見たり,聞いたりする時間等のルールを決めている」「子供と何のために勉強するかについて話している」「子供に努力することの大切さを伝えている」「子供に最後までやり抜くことの大切さを伝えている」「子供から,学校での出来事や友達のことについて話をする」「保護者から,お子さんの学校での出来事や友達のことについて話をする」「子供から,勉強や成績のことについて話をする」「保護者から,勉強や成績のことについて話をする」「子供から,将来や進路についての話をする」「将来,子供に留学(海外学校への進学を含む)をしてほしいと思っている」「自分の考えをしっかり伝えられるようになることを重視している」「地域や社会に貢献する等人の役に立つ人間になることを重視している」「家庭での蔵書数が多い」「家庭にある子供向けの本の数が多い」。保護者の帰宅時間と子供の学力の関係については,SES を統制すると,ほとんど見られなくなる
-----------------引用終わり-----------------

平成 29 年度「学力調査を活用した専門的な課題分析に関する調査研究」
https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2018/07/10/1406896_1.pdf
テストの正答率が高かったとは言えませんが、実家には本がたくさんありました。
実家の本棚が自分に与えた影響は大きいと思います。
よく言われている話ですが、原因と結果を取り違えて、成績が良くなるから本を読もう、とならないようにと願っています。
本好きとしては。。。

尊敬する松岡享子さんの本(「サンタクロースの部屋」1978, こぐま社)に書いてあるように、「見えないものを信じる力」こそが、人生で一番大切なことで、おはなし、絵本や本などの物語から身につけることができる。

サンタクロースの部屋
−はしがきにかえて−

12月にはいると、街はもうおきまりのクリスマス風景。「ああ、またジングルベルの季節がきたか」とおとなたちは思い、子ども達の多くは、やはりサンタクロースのことを考える。やれケーキよ、プレゼントよと商業主義のあおりたてる騒がしさの中で、それでも「サンタクロースは、本当にいるのだろうか」と真剣に問いかける子どもが、今年もまた何人かいるに違いない。



もう数年前のことになるが、アメリカのある児童文学評論誌に、次のような一文が掲載されていた。「子どもたちは、遅かれ早かれ、サンタクロースが本当は誰かを知る。知ってしまえば、そのこと自体は他愛の無いこととして片付けられてしまうだろう。しかし、幼い日に心からサンタクロースの存在を信じることは、その人の中に、信じるという能力を養う。わたしたちは、サンタクロースその人の重要さのためでなく、サンタクロースが子どもの心に働きかけて生み出すこの能力のゆえに、サンタクロースをもっと大事にしなければいけない」というのが、その大要であった。

 この能力には、たしかキャパシティーという言葉が使われていた。キャパシティーは、劇場の座席数を示すときなどに使われる言葉で、収容能力を意味する。心の中に、ひとたびサンタクロースを住まわせた子は、心の中に、サンタクロースを収容する空間を作り上げている。サンタクロースその人は、いつかその子の心の外へ出て行ってしまうだろう。だが、サンタクロースが占めていた心の空間は、その子の中に残る。この空間がある限り、人は成長に従って、サンタクロースに代わる新しい住人を、ここに迎え入れることが出きる。
「子どものために蔵書を増やそう」ということではなく、親が自分のために普段から本を読む習慣があれば、それが自然と子どもに伝わり、結果的に学力の向上につながるのではないでしょうか。
子どもに求める姿を、親が行うだけで良いのだと思います。

「学ぶ」には2つの読み方、「まなぶ」と「まねぶ」があります。
「まなぶ」とは、「勉強する」こと、「まねぶ」とは、「まねをする」ことです。

1歳児の子育てをしていると、私が無自覚に行っているようなほんの些細なことであっても、子どもが本当に私のマネをしながら学んでいることがわかります。
たとえば、私がガムを噛んでいるのを真似して口をくちゃくちゃと動かしていたり、アルコール消毒しているのを真似して手を擦り合わせていたり…。

子どもにとって、大人の行動は不思議なものに見えているかもしれません。
でも、「真似する」という行為を通してそれを受け入れてくれているように感じます。

反対に、親である私も、奇怪に見える子どもの行為を、ときに真似することで受け入れたいと思っています。子どもが日々してくれているように。
以前から読書量と学力については様々な調査で提唱されてきていると思いますが、蔵書数という分かりやすい指標と学力の関係性を明らかにする事で、政策的な支援や学校と家庭の連携などに変化が生まれるのだとしたら意義深いですね。

一方で、ただ本が沢山あるというよりは、家庭内での会話の質や量が大きく影響しているのではないでしょうか?例えばユダヤ人の家庭では、小さい時から家庭で議論をする事を是としているために、交渉力や議論に長けた人が多いといった傾向が見られます(個人的な経験ですが)。またミュージシャンのご家庭のお子さんは音楽に造詣が深いといった文化的な面での家庭の影響もよく見られますよね。

同様に、幅の広い教養に親が関心があり、そのようなテーマについて子どもと話す習慣がある家庭では、子どもが関心を持った時に適切な本を提示することもできるのだと思います。それは蔵書という形もあるでしょうし、その時に応じて購入したり図書館から借りるというアクションもあり得ると思います。

本さえあれば勝手にどんどん色々読んでくれるというお子さんもたまにいますが、多くのお子さんにとっては、読書も含め親が学び続けていて子どもの新たな世界を広げることに積極的に関与する事が求められると思うので、どちらかが欠けている場合にどのような家庭外での支援ができるのかというのが政策的には大切なのかと思います。
家族でそれぞれ趣味が違う本と、子供たちの年齢の違う本を置くので、このすごい量の本のスペースにいつも苦労します…奥の本はもう出てこない場所にあるような気もします。これが意味あるのか、とも思えてしまいますが…

ただ図書館の本だとどうなのでしょうか、
最近では本がこれ以上増えても、本のスペースとのたたかいになってしまうので、図書館はほぼ週末通っています。
本を読む習慣は小さい頃から語彙が自然につくかどうかにも関係あるように思われ、漫画でもいいから子供たちに本に興味を持つものがあればとことん読ませてと昔から私は言われていました。親がこれを読みなさいといっても大抵は読まれないので、子供が好きそうに向かっていく本をそのまま借りるようにしています。