内橋克人さん死去 人重視の経済に信念 環境、脱原発幅広く取材
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内橋克人さんが亡くなった。
内橋さんは神戸新聞の記者としてジャーナリズムの世界に入り、フリーになって夕刊フジに「匠の時代」を連載、それで世に出た。私と仕事をしているころから、単なるジャーナリズムではなく、そこからどうしたら世の中をよくしたいのか、を考え提示する「思想家」の側面も持つようになっていた。
内橋さんと通りを歩いていると、よくサラリーマン風のスーツ姿の中年男性が駆け寄ってきて、「内橋さん。読んでます。頑張ってください」と声をかけてくることがあった。
組織にいたことがあり、組織を取材していた内橋さんは、そういう人たちが、組織の矛盾に苦しみながら、声をあげることができず、しかし、日々まじめに働いていることをよくわかっていた。
駆け寄ってくる人たちは、自分たちがぼんやりと感じていることをはっきりと形にして声をあげてくれる内橋さんに感動していたのだ。
私が内橋さんと知り合ったのは、1994年の秋。1993年6月にコロンビア大のジャーナリズムスクールから帰ってきて、経済の大きな流れを調査報道でやってみたい、そう思って始めた月刊文藝春秋での連載 『規制緩和の悪夢』。最初の2回は下山が執筆者だったので、「編集者黒子たるべし」というデスクの命令で「グループ2001」名で執筆せざるを得なかった。
大きな話題を呼ぶ論文となったが、匿名となっているのは、「きわめていががわしい」、運輸官僚がかかわっているからだ、という批判が竹中平蔵氏らからなされ、ピンチとなっていた時に執筆者として参加して企画を救い、大きな潮流にしてくれたのが内橋克人さんだった。
単行本は「内橋克人とグループ2001」の名前で出し、以来、『不安社会を生きる』『悪夢のサイクル』の単行本を、編集者として伴走した。
文藝春秋を退社することを報告する年賀状に対する内橋さんの返信の寒中見舞い。
< 第3冊目の御高著出版に大いなる期待を寄せつつ待っております>
< どうぞお元気で! どこかでヒョッコリお会いできそうな予感に慰められております>
はい、内橋先生、今月にはもう5冊目の著書が出ます。
本当に、どこかでヒョッコリ会えればいいなあ。