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結局裁判で当事者は救われない。
起きてしまった時点で終わり。
法はいつも後手に回る。

大事なのは、これを受けて、制度や法律でどう変えていくか。高齢者運転を防げるか。
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この裁判で残念なことは、なぜか被告が頑固に罪を認めなかったことです。なぜなんでしょうか。加齢のせいなのか、被告の性格によるものなのか。もし、被告が深く謝罪し、被害者遺族がそれを受け入れ、加害者と遺族がともに悲劇や憎悪を乗り越えていくプロセスが生まれたら、社会にとって多くのレガシーを残せたと思います。遺族の松永さんは、それをできる人であり、それを望んでいたと思います。被告の態度は本当に残念です。事故直後に被告が逮捕されなかったことから「上級国民」という分断を進めるような言葉も生まれてしまいました。それも重ねて残念なことです。
法務省の犯罪白書が公表している科刑状況の統計を見ると、自動車運転過失致死罪の相場は、基本的に懲役・禁錮3年以下(ほぼ2年以下)でほとんど執行猶予がついている。それに鑑みれば、5年というのは相対的にかなり重い判決(令和元年の統計だと5年以上の懲役・禁固刑は1252件中6件のみ)で、それは被告人の犯行態様や反省状況、遺族への対応、遺族感情など様々加味されているのでしょうね。
http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/67/nfm/n67_2_4_1_3_2.html
想定通りの判決ですが、ここまできたら被告人も控訴・上告をするのでしょうね。

悲惨な結果ではあるものの、交通事故をここまで大事件にしてしまった原因は捜査機関の初動対応のミスでしょう。

最初から被告人を逮捕してみっちり取り調べていれば、おそらく素直に自身の過失を認めたのではないでしょうか?

非を認めて被害者遺族や家族に謝罪をすれば、(高齢でもあったことから)同情を寄せる声も多かったと推測できます。

「ブレーキとアクセルを踏み間違えた」という事実は、検察官が証明しなければなりませんが、昨今の科学捜査の精度は高いのです。
合理的疑いを挟む余地のない程度の証明は可能でしょう。

何が原因で無罪主張に固辞するようになったかはわかりませんが、気の毒なのは被告人の家族や親戚です。
自称「正義の味方」からの陰湿な嫌がらせが続いているのではないでしょうか?
(殺傷事件等の家族や親族の中には、名前を変えてひっそりと世間から逃げている人たちも多いと聞きます)

自動車を運転できるくらい元気だったのだから、警察は逮捕して取調べをすべきだった。

なぜ、そうしなかったのか?
警察当局としては、国民が納得できる説明をすべきです。
判決で東京地裁は「被告はブレーキと間違えてアクセルを踏み込み事故を発生させた。加速させ続けた過失は重大」と運転ミスを認定しました。さらに「被告人が事故に向き合い自分の過失に対する深い反省の念を有しているとは言えない」と指摘しました。遺族の松永拓也さんは「検察側が主張した事実認定は全て認められ、弁護側の主張は受け入れられなかった。控訴する権利はあるが、もう一度、自分自身に問いかけてほしい」と被告側に呼びかけています。
実刑で良かった。望めばきりがないが、同じ女の子を持つ父親として事故があってからの拓也さんの心情を考えると、本当にやるせなかった。もう裁判で苦しむのは終わりにしてあげたい。
願わくば被告が控訴なんかしないことを祈りたい。
奥様、娘さんを同時に亡くした松永さんの気持ちは想像するだけで本当にやり切れない気持ちになりますが、容疑者を上級国民と呼んで社会的なリンチを加えるような風潮にも不快感を覚えます。
一時は被告の息子が父親の逮捕を回避することに関与したような情報までネットで流れました。

ワイドショーでのタレントの皆さんの正義漢的コメントを聞いていると、なんかもやもやしてきます。
罪を憎んで、人を憎まず。

とかいう言葉があるけれど、被害を受けた当事者からしたら、そんな気持ちにはなかなかなれるものではない。だけど、もし加害者がキノドクに思えるほど、心から後悔していたとしたらどうだろう。取り乱し、精神を病み、泣き叫び、本心から詫び続けていたとしたら。ほんの少しかもしれないが、「罪を憎んで、人を憎まず」という気持ちも湧いてくるかも知れない。

だけど今回は、まったくその逆だ。最後まで「自分のせいではない」と主張し続けている。これでは被害者の傷ついた心に、さらに塩をすり込むような態度ではないか。しかもそこにもってきて、加害者の経歴だ。想像にしか過ぎないが、彼の個人的な性格の問題だけではなく、それまでに彼が経験してきた立場や肩書きが、奢りや慢心につながっていないだろうか。

お年寄りではあるけれど、命の尽きるその時まで、彼には罪を背負って生きていってもらいたいと、思わざるを得ない。
軽すぎるとはいえ実刑判決が出たことは評価したい。あとは少しでも良心の呵責あるなら速やかに刑に服してもらいたい。控訴して寿命まで逃げ切りを図りそうだけど、もしそうなると高齢者のこういうテロ行為を社会が罰する手段持たないことになる
個人的には、刑の重さや、被告人の人間性を問い続けるよりも、
社会の為に、高齢者の免許更新制度と彼らの交通手段選択の自由をバランスアウトしていくきっかけにしていく必要があると思います。

このあたりを政治家がリードしてもらいたいですね。
90歳の被告にとっては、5年の禁固刑でも恐らく二度と塀の外には戻れない期間です。これは、被告の人生に対しては、無期懲役に相当するという見方もできます。

亡くなられた2人の命の重みと比べてしまうと、では何年ならば納得出来るのか?という感情論になってしまいます。
→他の方もコメントされていますが、殺意はなかったという意味で強盗殺人などとは同じテーブルでは論ぜられないです。

被害者のご家族にとって、痛みを増やす要素は、被告が反省の意思を表明していないこと、責任がないと開き直っていることでしょう。
→これは、客観的に見ても見苦しい姿です。

控訴をするのではないかと思われますが、被告には、被害者の家族の心の傷に塩を塗るような態度はもうしないで欲しいと思います。