保護者でもないのに「一斉休校を」とパニックを起こす大人たちの危うい発想 - 学校に行かなくていい環境は整った
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「一斉」を求めてしまうことの根底には、自分だけがスタンダードから外れてしまうことへの不安があり、そうした不安には日本社会における「個人の自由な選択」を許容することの難しさが関わっているように思う。学校に行かなくていい環境が整っても、それを自分の選択として考慮できるだけの心の準備も、各学校レベルでの呼びかけもできていない。周りにあわせることは得意だし号令がかかればある程度の動きもできるのだが、自分で主体的に決めることに難しさがある。それゆえ「自主的に決めてください」では難しく、学校などより小さく身近な単位からの「いろいろな選択をしていいのですよ」という働きかけがないと動けないのだろう。しかしながらさらに問題を難しくしているのは、各学校がそうした自主的な「働きかけをしようとする選択」をすることが簡単ではないという、「入れ子構造的主体性の欠如」である。