新型コロナ「専門家」に関する2つの誤解 - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代
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注目のコメント
僕も『専門家の捉え方』は大事だと思う。
記事では『1:感染症の専門家が矢面に立つことの意味と問題点』『2:専門医家も様々な分野があること』という2つの問題提起がされています。僕も同意です。
感染症医は治療では専門性が高いが検査になるとPCR検査の開発に携わっている人や検査技師のような人達の方が専門性が高く、感染症医がどこまで深い知識があるのかは人によってバラツキがある。また流行の分析については統計的な知識も必要でそれも専門性が落ちると言わざるを得ない。
僕は上の2点に加え、専門家の誤解3として『専門家でも分からないことがある』というのを加えたい。新型コロナでは今までの常識では考えられなかったことがおこっている。ワクチン開発も5年はかかると言われていたのが1年ほどで完成し、効果も予想外。新型コロナが無症状で感染を広げるといったことも今までとは違う。それだけまだ研究が進んでいない分野ということでもあり、専門家でも予測を外してしまうしそれ自体は仕方がない。新たな情報がもたらされ分析をして学んでいくしかない。総理大臣→政治の専門家
日本の「感染症科」=ウイルス自体(医学)の専門家
医師=病気になった人の専門家
公衆衛生=医学エビデンスを元にウイルスで混乱を抑え政治と患者、社会のバランスを取る分野。
ウイルスの専門家が危ない、危ないと警鐘するのは当然、しかし経済と政治家の架け橋をする公衆衛生師がもっと活躍すべき。自治医科大学の先輩の尾身先生は公衆衛生分野です。尊敬していますが、昨日のNewsPickの対談で人流抑制については国際公衆衛生師として反対です。
海外留学された方はご存知と思いますが、日本は公衆衛生「Public Health」が発達してないです。Master of Public Health MPH公衆衛生学修士を急いで創設する状況で公衆衛生大学院5校とプログラム校14校の合計19校(2020年3月)。それも卒業の基準は独自の大学レベルです。Certified in Public Health CPH国際公衆衛生師は世界中で乱立する公衆衛生大学院に一定の基準を設けるものです。>誤解の第1は、感染症の専門家に対して「経済的、社会的要請を加味した政策」を代弁させることです。アメリカでも、日本でもすっかり当たり前になっていますが、これは原則論から言えばおかしなことです。
確かに、経済的社会的要請部分は政治判断なので政治家がすべき。それはその通り。
しかしながら、感染症の専門家が感染者をゼロにするために『人流抑止』しか言わないなら、だったらもう専門家なんて要らないでしょう。
そんなのは専門家じゃなくても思いつく対策なのだから。
リスクゼロ=リスク回避策なんてのは、専門家じゃなくても思いつくんですよ。
専門家ならば、リスク回避ではなく、『リスク低減策』と『リスクを受容すべき基準』を提示すべき。
政治判断部分で専門家にどーこー言うつもりはありません。
専門家としての知識・知恵が発揮されていないことに憤りを感じているんです。