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アフガニスタンは、東西の勢力が通り過ぎていく交通路でした。アレクサンドロス大王らギリシア人の支配下に置かれることもあれば、東から来た突厥やモンゴル帝国が支配していたこともあります。イスラーム勢力が台頭するとアラブ人やイラン人が支配するようになり、やがてイスラーム化したモンゴル人やトルコ人がインドに侵入していく拠点になりました。
 そういう、100年単位くらいで支配者となる民族が変わっていく国です。現在のアフガニスタンが非常に多民族の国であるのもそういう歴史の結果です。
 19世紀、英国がインドを支配するようになり、一方でロシアが中央アジアへ南下してきました。ここから、「グレート・ゲーム」と呼ばれる、アフガニスタンをチェスの盤上に見立てた大国の争いが始まります。1970、80年代のソ連のアフガニスタン侵攻は、この延長上にあります。アフガニスタンは相変わらず東西の勢力が争いながら通り過ぎていく場で、米国というプレーヤーが去り、ロシア、中国、インド、イラン、トルコといったプレイヤーが今、盤上をにらんでいます。
 アフガニスタンの歴史は、自分たちこそ生粋のアフガニスタン人、という人々を形成することなく、常に外部からの新しいプレイヤーの参入を許し、その一部は現地化しました。
 ターリバーンは外国人ではありませんが、東側に広がるパキスタン・インドのイスラーム世界とつながる人々です。インド北部の都市デーオバンドで勃興したイスラーム学校のネットワーク、デーオバンド派と呼ばれる勢力に属しています。ターリバーンの幹部はみなパキスタンで学んだ経験があり、バングラデシュまで広がるネットワークから資金や兵力の援助が常にあります。
 そうやって常に東西の人々が入ってきては争い、通り過ぎていくことで影響を受けて変化し、時に栄えてきた場、としてアフガニスタンを見ることがまず理解の前提としてあります。固定した国民から成る国家とはまるで違うあり方の社会です。
アフガニスタン情勢が日々動いています。
アメリカ・バイデン政権は元々、8月31日までをアフガンからの完全な撤収期限としていました。
しかし、予想よりも早くタリバンが実権を掌握し、アフガンからいち早く逃れようとする市民が空港に殺到しています。

これまで、米軍が脱出させることができたのは1日に多くても1万人程度で、このままでは10万以上とも言われるアメリカ人や協力者のアフガン人を脱出させられません。
そこで撤収期限の延長が議論されていますが、もしもそうなればタリバンは「結果を伴う」と脅しています。また、アフガンからの脱出も妨害しないと口ではいいますが、実際には検問で空港に近づけないなどしている模様です。

この混乱の原因となっているタリバンですが、アフガンで実権を握るのは今回が2回めです。
一体なぜ、アフガニスタンでは繰り返し「タリバン政権」が生まれるのか、歴史にスポットライトを当ててビジュアルで解説します。ご一読下さい。
タイムリーな情報提供、素晴らしい!
加えて、アフガニスタンは、37百万人の人口を擁するが、国民の46%は15歳以下の若い国。タリバンが依然、政権を担っていたのは、1996年から2001年の今から20年前まで。つまり、国民の半数は、タリバン政権支配の実体験を持っていない。若い国民は、混乱の中、十分な歴史教育を受けていない可能性も。色々な意味で危なっかしい国だと感じる。