東京パラリンピック開幕へ 13日間21会場、学校観戦以外は無観客
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高校野球は有観客でやっているのだから、パラの方もいいだろうという意見を時々見るのですが、甲子園は生徒、保護者、学校関係者に限った原則無観客ではなかったでしょうか?
今回のパラ観戦に含まれる小学生は果たして自分の置かれている状況を正確に把握できているのでしょうか。一生に一度だからというのは親のエゴと言われないでしょうか。
少なくとも自己決定がどれだけできているのか、という点において甲子園とパラは違う気がします。
注目のコメント
デルタ株が子どもたちの間でも感染拡大している中で、政府や自治体が、パラリンピックの学校観戦を推進することで与えるメッセージ性が、ダブルスタンダードを生み出し、いかに世の中を混乱させているのか、為政者はわからないものなのでしょうか。
そして、ただでさえ感染抑止に腐心されている学校関係者の負担、もし感染してしまった場合の医療関係者の負担をどう捉えれば良いのか、絶望的な気持ちになります。パラリンピックをなぜオリンピックと別日程にするのだろう。
柔道やレスリングなど、階級別に分かれている競技があったり、陸上の100m、800mなど種目別になっている競技もあります。男女でも別れていますが、同じ大会として日程が組まれますよね。
でも、なぜ障害の有無になると、大会自体が別枠になってしまうのか。
健常者と障害者が同じ勝負をするのは現実的ではない気もしますが、同じ大会でやってはいけない理由が分かりません。
どちらかといえば、スポンサーや運営側の理由なのでしょうか。
選手のジェンダー問題が今取り上げられるようになっていますが、障害を持つ選手達は、大会自体を別枠にされるということをどう考えているのでしょうか。
これからの時代、しなくてもいい線引きならしないで済む仕組みを、考えていってもいいのではないかと思いました。移動はバスで他校との接触はなし。であるなら、パラリンピックの会場に行くのと、学校の教室で一緒に授業しているのは何が違うのでしょう?小学生の観戦を反対する人は、通学自体も禁止しなければならないです。
小学生のパラリンピック観戦は、今後のダイバーシティ社会にとって、目には見えないけれども、大変大きな意義があると思います。大人になってからではなく、小さいうちに障害者の可能性を生で見てもらうことは、仮にコロナ感染のリスクがあったとしても、非常に重要で実施すべきことだと感じます。