2021/8/30

「チラシ配り」サービスは、なぜ唯一無二のビジネスモデルに生まれ変わったか?

NewsPicks Brand Design Editor
現在4,000名以上が登録し、月平均の新規登録数の伸びが前年比2倍以上に成長している、決裁者マッチングSaaS「ONLY STORY」とその有料版「チラCEO」。

先日13億円の資金調達も発表したそのユニークなビジネスモデルは、実は創業当初は、取材先の社長(CEO)にチラシを配るというビジネスだった。

運営元のオンリーストーリー代表の平野哲也氏は、幾度もつまずきながら“HARDTHINGS”の果てに現在のSaaS型のビジネスモデルに辿り着いたという。

平野氏が社会人1年目で起業してから今年で約7年半。平野氏とオンリーストーリーの現在までの道のりを辿る。

病気を繰り返した「闇の2年間」

「社会人1年目で起業するまで、闇の2年間があったんです」(平野氏)
 オンリーストーリー代表の平野哲也氏はそう口火を切った。2021年度「ベストベンチャー100」にも選ばれた経営者の過去に何があったのか。
「父も叔父も経営者で自分も起業したいと漠然と思っていました。ただ、なんだかんだ起業への一歩が踏み出せない。要は、臆病者だったんです」(平野氏)
 転機になったのは、大学生の時。進路に悩む中で、平野氏を病が襲う
 ある日、40度を超える高熱と嘔吐をもよおし、意識が朦朧とするまま緊急治療室に運ばれた。診断は髄膜炎。平野氏はその治療のために命を懸けた大手術を経験する。
 闘病生活の中で、平野氏は「自分は何がしたいのか」を問い続ける。
「その時に、『後悔を残して死ぬことこそが人生最大のリスクだ』と気づいたんです。僕の人生を決めるのは自分自身です。 自分の人生を後悔のないものにするにはどうしたら良いか考え、就職活動はせずに経営者になる決意を固めました」(平野氏)
だが、そんな矢先に平野氏をさらなる困難が襲う。大学4年生時には、肺気胸を2度経験し、結局大学の卒業式も病院のベッドの上で迎えた。
「やっぱり焦りましたね。周囲は大企業に就職して新たなステージへと邁進しています。かたや僕は職もお金も肩書もないし、先も見えない状態。『なんとかしなければ』ともがいていました」(平野氏)

事業をスタートさせるも……「お金がない!」

 起業の準備を進めていく平野氏。
 だがその後、盲腸破裂と腹膜炎によりさらなる入院生活を余儀なくされる。
「神様は乗り越えられる者にしか試練を与えないと言いますが、流石に3回目はなくても学べるよなとか、ちょっと思っちゃいました(笑)。
 ただ、その状況で、健康な身体も、職も、肩書も、お金も、本当に何もなくなったことで、逆に吹っ切れました」(平野氏)
 退院後、まずは改めて「WILL:自分がやりたいこと」「CAN:自分ができること」「NEED:市場、顧客から求められていること」の整理をすることにした。
「父親も叔父も経営者なので、『経営者の力』になることができないかと考えていました(WILL)。
 また、学生時代のインターン先で経営者にインタビューをしていたので、それならばできるのではないかと(CAN)。
 そして、さまざまな経営者と出会う中で、よい商品やサービスをつくっても、それを知ってもらえないから無料で広めたいというニーズが横たわっていると知りました。そのため、発信が必要だと感じていたんです(NEED)」(平野氏)
 このWILL・CAN・NEEDが重なり合う「経営者向けの無料のインタビューサイトの運営」をしようと決め、経営者へどんどんアポを取り、インタビューを重ねていった。
 しかし、4~5ヵ月程経った頃、平野氏はあることに気づく。
「あれ……? お金がないぞ」
 インタビューを無料で行い、無料で掲載するビジネスモデル。
 はじまったばかりのメディアにマネタイズのポイントはなかった。
「その頃はマザー・テレサ並みに性善説で生きていて。経営者のために無料で良いことをしていれば第三者からの広告だったり、インタビューをした経営者が仕事をくれたり。なんとかなると思っていたんですよ。
 でも、我ながら浅はかな考えでした。僕は性善説のシミュレーションしかできていなくて、ビジネスのリアリティを持って考えられていませんでした」(平野氏)

CEOにチラシを配る「チラCEO」誕生

当時の「チラCEO」のチラシ
 キャッシュが減っていく中で、平野氏が考えたのは「無料で経営者インタビューをしながら、収益化できる方法はないか」ということだった。そこで生まれたのが、現在オンリーストーリーの主軸事業となっている「チラCEO」の原型だ。
 ただし、初期のチラCEOは現在のSaaS型とは異なる、アナログなビジネスモデル。広告主の紙のチラシを持参して、社長に手渡しして説明する。その代わりに無料で取材を行うというアプローチ*だった。
*現在はチラシ配り及び無料取材は行っていない。
 その後、少しずつマネタイズできるようになったものの課題も大きかったと語るのは、当時からインターンとして働き、現在はオンリーストーリーのカスタマーサクセスを担当する亀井俊作氏だ。
オンリーストーリー 亀井俊作氏
「当時のチラCEOのビジネスはチラシを配るところまで。チラシを見ていただくだけでは興味を持ってもらえないこともあり、もっと営業支援につながる何かができないかというもどかしい思いもありました」(亀井氏)
 平野氏もそこに課題意識を強く持っていたという。
「チラシを配って、よい反応をしてもらうこともゼロではありませんでした。しかし、契約企業に請求書を送ると、『アポにも成約にもつながらないじゃないか!』『本当に効果があるのか!』といったお怒りのメールが飛んでくることも……。
『経営者の役に立ちたくてこのビジネスをしているのに、なぜこんなことになるのだろう』と悩むこともありました」(平野氏)
 チラシが功を奏さなかったのは、インタビューをされる企業が求める情報を提供できなかったからではないかと亀井氏は振り返る。
「当時はチラCEOの広告主はそこまで多くなく、相手のニーズに合わせた紹介をするというよりも、結局弊社側で紹介したい企業のチラシを配ることになります。相手のニーズに合わせた提案ができないことが課題だったのではないでしょうか」(亀井氏)

メディアからビジネスマッチングへの転換

 それからチラCEOは地道な改善を続けていく。
 その中でビジネスモデルの根幹に影響を与えることになったのが、広告主である有料顧客の課題を知るために始めた月に1度の「定期訪問」だ。
「それまではインタビューを受けていただいた無料ユーザーとチラシを出稿した有料顧客をマッチングさせようとしていました。この頃から有料顧客同士をマッチングさせるお見合いの仲介人のような立場にシフトしていったんです」(平野氏)
 チラCEOは、インタビューをメインとした「メディア」から、有料顧客企業同士をつなげる「ビジネスマッチング」へと本格的に価値の源泉をシフトしていく。
 ビジネスモデルの観点で言えば、メディアビジネスの多くは「伝える」までが役割だ。しかし、平野氏はそもそもメディアビジネスをはじめたかったわけではなく「経営課題解決」を目的としていた。
 だからこそ、初期チラCEO時代にチラシを通じたビジネスの成約率に悩み、そしてより深く成約へコミットするビジネスマッチングへ移行したのは必然とも言える。
 チラCEOは、最初ハイタッチを通して泥臭く顧客の生の声と向き合いながら、ロータッチ、テックタッチへと価値を変化、進化させていった。
 例えば、ロータッチ型で経営者専門のプレゼン&マッチングイベントを週に3回以上開催。
 さらにテックタッチ型で、従来の経営者インタビューサイトにメッセージ送付機能を追加、アプリリリースも行った。

営業をDXする現チラCEOモデル

 その後、チラCEOは2度の資金調達を経て、そのほとんどを顧客価値向上に投資し続けた。
 メンバーの半数以上がカスタマーサクセスや開発であることもそれを物語っている。そしてこの2年ほどで、従来とは全く違ったサービスと言えるほどに進化した。
 SaaS型の現チラCEOは、決裁者商談を創出するために主に4つの集客導線を設けている。
「それぞれの導線の違いは、婚活などと置き換えるとわかりやすいです。恋愛マッチングアプリのようなメッセージ機能と、婚活パーティのようなオンラインマッチングイベント、そしてお見合いのような、直接紹介サポート。
 すべて本質的な出会いを創出する機能です。いずれの導線から来ても、SaaS内でマッチングされます」(平野氏)
 そうして進化してきたビジネスモデル。回り道ではあったかもしれないが、結果的に、その回り道こそが最大の参入障壁になっていると言う。
「僕達のビジネスは、単純なSaaSでなく、SaaS×コミュニティが事業の本質です。そこにコミュニティ要素があるからこそ、一定数の顧客がいないことには成立しません。
 結果的にですが、プラットフォームの最初の顧客を、初期の期間に泥臭く駆けずり回ることで集めることができました。
 この泥臭いことを続けた数年間が、他社の最大の参入障壁にもなっています。仮にプラットフォームのシステムは真似することができたとしても、そこは結構大きな要素かなと思っています」(平野氏)
 平野氏は現在のSaaS型モデルに至るまでの過程を「泥臭SaaS(ドロクサース)」と呼んでいたのも、印象的だった。

強風の中でも炎を燃やし続けられるか

 現在の資金調達額を聞くと、順風満帆だった印象を受けるかもしれないが、オンリーストーリーは創業してから約6年ほど、一度もエクイティでの資金調達をしていない。平野氏はその創業してからの模索期間を「苦しい6年間だった」と振り返る。
 例えば初期のころ、平野氏の役員報酬は月給3万円ほどだったと言う。月に数百時間働いていたため、時給に換算すると3桁に満たない金額。
 その期間、それでも続けることができたのはなぜか。
 「何より、経営者の性格とビジネスモデルの相性が大きいと思っています。それを自分は『EBF(Entrepreneur Business Fit)』と呼んでいるのですが、そこがマッチしていないと、短期的には良くても、続けるのはしんどいなと思います。
 個人的に、成功するモデルと、成功が継続するモデルは全然違うなと思っているのですが、その一つの要素はそういったことかなと。気合・根性論だけでやるのは危険だなと思っています。
 ただその一方で、経営者の性格とビジネスモデルの相性だけでやるのも危険だなと思っていて。
 というのも結局、ビジネスをしていると『覚悟の炎をどれだけ維持できるかの勝負』になってくるなと思っています。
 起業家はみんな、世界を変えたいと思っていたり、すごい能力や意思を持っていたりしていて、そこには大きな覚悟の炎があるわけで。
 でも、日々強風が吹き荒れるわけです。お金の試練、裏切りの試練、PMFの試練、メンタルの試練、健康の試練、市場環境の試練、叩かれの試練等々。
 強風を毎日浴び続ける中で、それでもどれだけ炎を絶やさずにいられるか。起業ってそういう競技種目なのかなと思います」(平野氏)

「つよいい会社」であり続ける

 平野氏が強風のなかでも炎を絶やさずにいられた背景には、経営の軸として掲げる「つよいい会社」をつくりたい思いがある。「つよいい」とは、「強くて」「良い」が組み合わさった造語だ。
「『よわるい(弱くて悪い)会社』を目指す企業はいないでしょう。少なくないのは、『つよわるい(強いけど悪い)会社』と、「よわいい(弱いけど良い)会社」になってしまうケースです。
 無料の経営者インタビューサイトを運営していた時の弊社はまさに『よわいい会社』でした。信念を持って経営者の役に立とうとしていましたが、売り上げを伸ばせず、このままでは活動を続けていくことができない状況に陥りました。
 そこで強さの必要性を身をもって実感しました」(平野氏)
 現在オンリーストーリーはより、つよいい会社を創るために資金調達をし、開発・カスタマーサクセスに力を入れている。
 実際に、調達した資金の多くを顧客満足度向上のために使い、対前年比で総マッチング数は月平均2.5倍以上に成長し、新規登録決裁者数の伸びも、月間の増加数ベースで月平均2倍以上に成長している。
 さらに、社内体制の構築にも注力し、2021年版アジア地域における「働きがいのある会社」ランキングでも100名未満部門で日本5位、アジア43位を受賞している。
 そんな平野氏に、今後の展開について聞いてみた。
「マッチング後の支援もきちんと行える体制を整えていきたいです。例えば、恋愛でいうとデートをして終わりではなく、デート後のフォローアップをしてもらえるとありがたいという人もいますよね」(平野氏)
 営業活動の、集客から最終クロージングまでのトータルサポートを第1段階としながら、目線はさらに先を見つめている。
「M&A戦略の支援や投資先開拓などあらゆる経営課題を、決裁者マッチングで解決できる可能性があります。僕らは、つながりを通した経営課題解決支援会社なので、これからは一層そのサービスの輪を広げていきたいと考えています」(平野氏)
 チラシ配りサービスがSaaS型へと進化し、3度もの病気を経験した平野氏自身が、現在では数年間風邪をひかない健康体へと進化したように、“改善継続”が強みのオンリーストーリー。
 闇の2年間と苦しみの6年間を経て現在のオンリーストーリーがある。だが、見据えるのは遥か先。オンリーストーリーの挑戦は続いていく。