働きがいのある会社上位のサイボウズなのに、不安になる理由。
コメント
選択しているユーザー
将来を不安に思うエピソードの、お迎えのたびに申し訳無さそう、には、共感ですね。
自分の体験としても、そしてまだお母さんになる前に私が見た先輩の光景としても、どちらもあるあるです。
そして出産前の経験、出産、出産後の経験も、まだ何が明確な不安なのかわからなくても何かよくわからない不安にかられるとに、こういった既に見ている世界で不安が増加してしまうこともあるわけですよね。
リモート画面越しに子供達が入り込んでしまうときなどでも日本語でも英語でもごめんなさいと言ってしまいますが、以前海外の方から何で謝るのか、この空間はフェアであり、むしろこの空間に見えるのはママだけではなく、我々にもその可能性はあるのだからと言われ、無意識に口癖のように言ってしまっていたかもと気付かされました。
相手への配慮、敬意としての謝りとしての発言であったりもしますが、単にその申し訳なさそうな形が後に続く若い世代にも、申し訳なさそうの連鎖にならないようにしていかねばですね。
注目のコメント
ここで出てきた課題の根源にあるのが、アウトプットにコミットする働き方でなく、労働時間にコミットする働き方であることでしゃうか。結局は働き方改革も、時間と場所の制約は改革されたものの、コミットする対象は改革されていないケースがほとんどなため、それが評価や給与に跳ね返ってきてしまっている実情があるのかなと。
日本での成果型の雇用契約が浸透しづらいのは理解しますが、そこを是正しない限りお金持ちほど暇がなくお金を使う時間がない、貧乏人ほど暇だけど使うお金がないという、経済循環にとって最悪のパターンからの脱却は難しいかと。サイボウズさんはわからないが、チームの人数ギリギリで余裕人員の無い状態で仕事していると、産休育休者や時短勤務者が出た時にカバーする人員がいないから、誰かが残業してカバーすることになる。そうすれば、本人は申し訳ない気分になるし、不測の事態に備えて重要なPJにはアサインできないとなってしまう。
産休育休などの制度だけ整えても、人員効率をとことん追求することを止めないと、制度が活きない。
これ結構あるあるな気がします。