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タリバンが政権掌握、首都制圧 アフガン大統領国外脱出

共同通信
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  • 大山 敬義
    暦オタ・ガジェオタ・ミリオタ・時々謎のPro Picer

    ガニー大統領は現地時間15日午後6時前にアフガンを脱出し、タジキスタン経由でオマーンに向かいました。
    これを受けて同8時30分タリバン軍が大統領宮殿に入城し、アフガニスタンの全権を掌握。
    アフガニスタン・イスラム共和国は滅亡し、タリバンはアフガニスタン・イスラム首長国の再興を宣言しました。

    20年ぶりに復権したタリバンですが、内戦自体は1978年の人民民主党政権に対するムジャヒディンの蜂起から始まっています。
    同盟国アフガニスタンがムジャヒディンの手に落ちることを恐れたソ連は翌1979年介入を決定。
    新たにカルマル政権を建てますが、10年にわたる戦いで多大な損害を被り1989年に撤退します。
    その後も人民民主党政権自体は続いたものの、1991年にソ連が崩壊すると後ろ盾を失い、ムジャヒディン側に寝返ったドスタム将軍のクーデターにより崩壊しました。

    しかし人民民主党が崩壊すると、今度はムジャヒディン自体が派閥に分かれて激しい抗争を繰り返し、アフガニスタンは分裂状態に陥ります。
    そんな中、パキスタンの支援で結成されたのがタリバンです。
    私利私欲に塗れた軍閥と化したムジャヒディンの争いに嫌気がさしていた国民の多くがタリバンを支持し、遂に1996年タリバンは首都カブールを陥落させました。

    しかし国土の3分の1は以前として北部同盟などの軍閥の支配下にあり、その後も戦闘が続きます。
    2000年末にようやく国土の90%を制圧したタリバンでしたが、その間圧政を繰り返して国際社会の非難を浴び、2001年には同時多発テロの主犯アルカイダの引き渡しを求めるアメリカの介入を招くことになります。

    3ヶ月余りの戦いの末、タリバン政府は崩壊しますが、しかし指導部の多くはパキスタンに逃れることに成功し、勢力を再建。
    昨日、20年の時を経て全土を制圧、再びカブールに戻ってきたという流れです。

    この経緯を見て分かる通り、実は今回アフガニスタンはなんと43年ぶりに統一されたことになるわけです。

    しかしタリバンは元々強固なイスラム原理主義集団というより、緩い部族連合を宗教の力で結びつけているに過ぎず、強力なリーダーシップを持った集団ではありません。
    又前回の圧政の記憶も新しく、その統治手法にも疑問符がつきます。
    今後アフガニスタンに本当に平和が戻るのかは、全く予断を許さないと言えるでしょう。


  • 鈴木 一人
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    東京大学 公共政策大学院教授

    予想を上回るスピードで全権掌握したタリバン。アメリカの慌て方がアメリカの「敗北」感を増幅している。かつての過激主義よりは政治的なスキルも高まったと言われるが、彼らの統治はかつてよりも穏やかなものになるのだろうか。


  • 武貞 秀士
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    拓殖大学大学院 客員教授

    一連の映像と報道を見てきて、1975年4月30日のベトナムのサイゴン陥落の映像を思い出した。首都カブールの上空を行き来するヘリコプター、アフガン政府の雪崩をうつような崩壊のスピード、毎日発せられるタリバン発の勝利宣言、米国政府によるカブールの大使館の機密書類償却指示、最後はヘリコプターが重要な役割を演ずることなど、1975年とそっくりではないか。サイゴン陥落も1975年1月から事態が急変し4か月で決着がついた。米国にとってはこの結果は想定内だろうが、アフガンに対する中国の影響力増大という結果をもたらすことについて、バイデン政権はどこまで計算をしているのだろうか。


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