この連載について
ビジネスや働き方が多様化し、正解がない時代に、自分を信じて一心に仕事をする人たちがいる。そこにあるのは独自の「哲学」だ。仕事人のヒストリーをたどり、道標となった哲学を浮き彫りにしていく。
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こんな人が増えたら商売あがったり、かもですがヘビーオンスの服が増えてる背景にはそんなニーズが増えてるんじゃないかな〜
タフさとエレガンスさを両立できる素材が増えることを祈ります。
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服が向かっていく未来とは、例えば、長持ちして、暑さ寒さをしのげて、着心地が良く、なおかつ人の気持ちを高揚させるような自由で面白いデザインの服という役割を果たしていくことだと思います。
一方で「サステナブルという流行」がファッション業界で生まれたというのは見ようによっては言語矛盾ですが、見ようによってはカッコよいダサいという価値基準が人の行動様式を変え得るという可能性のようにも思えます。
いち早く革製品の使用を辞めエコレザーを使用したステラマッカートニーの財布はポリウレタンのために劣化しやすくそれはかえってサステナブルではないのではないか問題とか、各論で言えば色々な課題を抱えているのでしょうが、ファッション(流行)と環境負荷をどうアウヘーベンしていくのかは非常に興味深いです。
メーカーもユーザーもワンシーズンで着つぶして、また買い換えればいいや、という発想のファストファッションはサステナブルとは言いがたいでしょう。だからこそ、ファストファッションもリサイクル、リユースに力を入れ始めています。
いまどき「ハイブランドかファストファッションか」の二者択一をする人は少ないと思いますが、ベーシックなユニクロはともかく、流行り廃りの激しいトレンドを追っているファストファッションやブランドは翌年以降どこかでダサさくなるのでリユースには限界があるかもしれません、
その点、ハイブランドのベーシックはデザイン的に古くならないし、素材もまったくくたびれないため何年でも着続けられます。本当の意味でサステナブルといえます。
20年以上前にイタリアで買ったハイブランドの服は確かに値は張ったものの今でも着続けているので1年当たりの価格にするとファストファッションと変わらなかったりします。
コラムにも登場するアフリカのファッションですが、ド派手は欧州ブランド服を着飾る「サプール」と呼ばれるコンゴの男性コミュニティは本当に魅力的です。
普段は普通に働く庶民ですが、収入のほとんどを服に注ぎ込む、その生活ぶりは常軌を逸しているように見えますが、飾り立てることで一種の「品格」をまとっているんですよね。
服が人間の内面を熟成させるなんて、コンゴのような国ではひときわファッションの真の価値が現れていると感じます。
「おしゃれは人を輝かせる『生きる糧』」
「誰かが商品化し、使っていかないと伝統技術が衰退し、コミュニティも崩壊する」
「ダサい服は環境に悪い」
栗野さんを筆頭に、これだけ多くの識者(!)が、捨てられる服の大量生産をやめようと提言しているのに、今なお安っぽくダサいため誰も買わない夏物の服のセール品が山のようにあふれている。どうかすると「リサイクル繊維」と書いてあるエコ製品だったりする。声が届いてないのか、わかっていてもやめられないのか、どうやめていいのかわからないので惰性でやっているのか。
流行り言葉のそれとして「サステナブル」を使いながら、同時に「今年の秋冬はこれを着なさい」とばかりに商品を売りつけるスタイルよりも、時代も場所も飛び越えた「スタンダード」こそが今求められているのだと思います。