きょう終戦の日 大戦終結から76年
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日本が外交の場で判断を誤り続けた結果がポツダム宣言の受諾とすれば、1930年代の外交史は教訓に満ちていて、誤りの連鎖の始まりは満州事変から国際連盟脱退までの経過に見て取れます。
チェコスロバキアやスペイン等の欧州大陸諸国が中国寄り、英連邦が日本寄りについた国際連盟総会は紛糾状態になり、英国のサイモン外相は満洲問題決議案を作成した十九人委員会に米ソを加えた和協委員会での協議を提案しますが、これをチャンスと考えたのが松岡洋右全権大使、拒絶したのが内田康哉外相でした。
現実的な落とし所を探ろうとした松岡大使が内田外相に送った電文には、その偽らざる心境が読み取れます。
「申し上ぐる迄もなく物は八分目にて堪ゆるがよし。いささかのひきかかりを残さず、綺麗さっぱり連盟をして手を引かしむると言うがごとき望み得ざることは、我政府部内におかれても最初より御承知の筈なり。日本人の通弊は潔癖にあり。」
こちらの言い分を全て呑ませようという潔癖症が日本人の通弊だという指摘ですが、今も色々と思い当たる節があります。
この協議中に実行された熱河作戦も松岡大使への追い打ちになってしまい、経済制裁が可能な非難勧告が可決されたことで連盟脱退が決まりますが、遂に国益を守れなかったと失意のうちに帰国した松岡洋右を迎えたのは溜飲を下げた国民世論の拍手喝采でした。連盟批判を繰り返すマスコミに煽られた世論は手がつけられず、関東軍ですら慎重だった連盟脱退論を強力に推したのは国民自身でした。
以降の日本は要所要所で判断を誤り続けました。日中戦争では南京・武漢を占領してなお強硬論を唱え講話の機会を逃し、日独伊三国同盟で米英を刺激し、纏まりかけた日米交渉は仏印進駐で水泡に帰しました。その結末は改めて言うまでもありません。
敗戦からは76年、連盟脱退からは88年になりますが、国民が煽りに乗せられて判断を誤るという構造からは脱却出来たでしょうか。過ちを繰り返してはならない、という言葉が本当の意味で理解されることを願って止みません。
注目のコメント
「戦争」という名のただの殺し合いには、日本だけでなくどの国も進んで欲しくないと切に願います。
現実は殺し合いをしている国家地域は多く、なんとかならないのかといつも心に引っ掛かります。
他の方も書かれてますが、戦争突入から敗戦に至る経緯は、現在のコロナ禍での世情とそっくりなところがあります。
国家・組織のトップの右往左往ぶりや、マスコミの合理的思考を軽んじる扇情優先の報道、何より「空気に流される世論」が怖い。
「世論」はネット時代になってバランスが良くなるかと期待しましたが、むしろ一方向に流れる危うさも感じます。
誰かの責任に押し付けるのは嫌いですが、改めていろいろ考えさせられます。8/15ですね。
私も含め日本人は戦争はダメという考え方は共通して持っていると思います。
国を守るために命を賭して戦った方々のことを思い馳せながら、純粋に戦争の愚かさを子へ伝えようと思います。そして自ら考えて自分の言葉で話をしてもらおうと思います。
平和を繋げていくために語り継ぐ。