新着Pick
1041Picks
Pick に失敗しました

人気 Picker
1980年代にはゆとり教育、2000年からは総合学習、ときて、探究学習もこの延長上にあります。学校教育についてはいろいろ世間でいわれるし、日本の文部科学省も工夫しようとしていろいろ学習指導要領を変えてきました。
 1つ明らかな問題は、自発的に探究を始める高校生というのは間違いなく限られた人数しかいないので、他の大多数の高校生が探究をするようになるにはどういう教育をすればいいのか、そもそも教えられるものなのか、ということです。
 世界や社会について様々な方法で総合的に理解するという総合学習を小学校でやるのも大変だったのですが(実際は、ほとんどは紋切り型の内容を繰り返すしかできませんでした)、高校生に自発的に探究するように促す、というのは、はるかに大変なことです。
 だいたい、探究をするような人間というのは、人に言われて始めるのではなく自分から始めるもので、周りにできるのは、図書館や博物館といった情報へのアクセスを用意しておいてあげる、というくらいです。あとは、一番身近な人間、親兄弟や友達が、日常的に情報を摂取して探究するような生き方をしているとそれに影響される場合は多いですね。
 文部科学省の教育改革というのは、無茶なのは、大学改革などもそうですが、スタンフォードとかハーバードとかの世界的なトップをモデルとして、同じことをやれと日本の全部の大学にいうところですね。小学校や高校についても、フィンランドとかのトップ校を真似しようとします。
 教育改革を思いつく文部科学省の課長や局長の人たちも、自分の生い立ちや自分の子どもの行っている学校、つまり東京の御三家とかでやってみてうまくいっているから、という発想をしがちです。
 大多数の学校でしなければいけないのは、高校卒業後にきちんと企業で働いていけることとか、大学で就職活動をして、公務員や会社員にきっちり仕上がることなのですが。探究者を生み出す、というのは、学習指導要領で目指すことではないでしょう。
五感で感じることが難しくなってきた現在、子供だけではなく大人も五感を研ぎ澄ませることが重要になってきていると思います。
最近、子どもと絵を描いています。没頭して、素敵な絵が出来上がるのが良いなと思っています。もう少ししたらどうやったら自分の思っているように描けるのかな?とか綺麗な景色を見たら、今度絵で表現してみる?とか聞いてみようかと思っています。
人間は本来学習することが好きなはずで、
それは、子どもたちを見ていれば非常によくわかります。

それが、「学校の勉強」になると途端につまらなくなるのは、様々な要因がありますが、
基本的に、人が「ハマる」構造はスキナーのオペラント条件付けからさほど変わっていません。

報酬が与えられる行動が増え
罰が与えられる行動が減る


その「報酬」には、「解けた時の快感」も含まれます。
そうした状況をつくるには、今の自分にあった難易度に設定し続けるのが大切です。
ブロック崩しやテトリスがわかりやすいですが、一般的にテレビゲームは、常に難易度が微調整され続けるものになっています。

それが、学校では、純粋に「解けたかどうか」よりも、他人との競争や、自分の外部にある判断基準に意識が向かざるをえません。

クラスの誰もできない問題を自分だけが解けた。
クラスのみんなができる問題を、自分は解けなかった。
解けたと思っていたら、重箱のすみをつつくようなトメハネはらいでバツになった、など
難易度は、本人の到達度に合わせてではなく、学習指導要領に基づいて決められます。

高校で割り算や分数を理解した生徒の、本当に嬉しそうな顔を見ると、勉強に喜びを感じるのは一部の生徒の特権ではなかったのだと思います。

記事にある、一緒にゲームしよう、というのは最高の教育だと思います。
非常に重要な記事。示唆に富んだ内容で、"学ぶ"という事に対して気づきが多い。
『外から問いや課題を与えられて始めるのではなく、ワクワク、あるいはモヤモヤといった内発的動機に駆られてスタートする学びが「探究」だと私は考えています。
ここでいう探究は、答えありきではなく、経験を重ねながら気付きや発見を得て、何かを生み出したりしながら学んでいくことが重要です。』

内発的動機に基づく"探究"はビジネスマンにとっても大事で、自身が自ら学びに打ち込める事が大事。
また、以下の"学びのゲーム化"というキャッチーなフレーズがとても良い。
『探究するとは、言い換えれば「夢中になって学ぶ」ということです。夢中になって学ぶためには、「学びのゲーム化」が有効となります。』
学びのゲーム化に関してはNewsPicksオリジナル番組「インベスターズ」の最終回、佐渡島さんのお話が素晴らしい視点だと感じた。
学びにゲーミフィケーション要素を加えてゲーム化するアプローチより、ゲームの中から学びが生まれるアプローチが次の時代を創るのではという話。
この一見主従逆転な発想が既存の当たり前を壊してイノベーションを産むのだなと感じました。
「探究学習」は以前に比べれば取り上げられる機会も増えてきているし,実際に重視している学校も増えてきたのは事実ですが,見出しにあるような“激変”にまで来ているかというと,まだまだであるのが実情と個人的には思っています.
例えば,誤変換も含めて「探究」→「探求」となっているコメントも多いということからも,教育界の方ならばともかく,一般の方にまで浸透していないのは明白です.
それから,従来型の学びの二項対立的に探究学習があるわけでもありません.日常から何かの違和感みたいなものが生まれるのは,十分の知見があるからであり,その知見も身につけるための学びは,時に必死に暗記することも必要になるし,何時間も机に向かわなくてはいけないこともあります.
そういうことを踏まえた上で,「今本当に必要な学びとは?」を考える必要は必ずあります.
決して「探究学習」を否定しているわけではありません.
ただ,「最近SDGsが取り上げられているから,そのゴールに合わせて課題を発見させて,発表までもっていこう!」みたいのも結構あるので,本質を知り,技術論にならないようにすることこそが,本当の意味での「探究学習」となりうるということだけは肝に銘じておきたいところです.
この連載について
まるで預言者(プロフェット)のように、新しい時代のうねりをいち早く紹介するNewsPicksのインタビュー集。本質を見抜く視点を毎週つむいでゆくことで、ちょっと先の未来を覗こう。