「先生には教えられないので今日は自習」放置された小学生が考えた、あっと驚く学びの中身
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注目のコメント
よくある「詰め込み教育」対「ゆとり教育」論争の延長線上にある議論。
著者の述べる経験主義教育は、私も好きな教育思想です。
しかし現役教員の方々の評価が今ひとつなのは以下のことが原因かと思います。
まず、偉い学者先生なだけにこれまでの議論を踏まえた上で持論の開陳をしてもらいたい。
でなければ何時まで経っても止揚せず、ゆとり対脱ゆとり教育の論争から抜け出せない。
また著者は誰に向けて書いているのか、対象が散らかっているのでメッセージが届きにくい。
我々教員や保護者に言っても仕方ない学習指導要領の中身のことと、我々現場が取るべきと訴える教育方法がごっちゃになって。
あと言葉が綺麗すぎて実態を軽視しすぎ。
>失敗しないように先に手を打ってしまうのではなく、子どもたちの可能性をリスペクトして、
この言い回しは失礼ながら卑怯。先に手を打たないということは子供に失敗させることも厭わないわけだが、それを明記しないので。
これらのことから現場の教員は、お偉い学者が机上で考えた絵空事と聞こえるのでしょう。
やはり教育方法論は技術論なので、実践があって初めて説得力が出る。
デューイの経験主義教育を実践し続けている玉川学園は本当に偉大です。これができる世の中からはどんどん遠ざかっていますし、学校や教員がこれをやったら総叩きに合ってしまう時代かと。親も当時とは変わっています。一部の学校、一部の教員が突き抜けてやれば、それは賞賛に変わることもあるでしょうが、全体に当てはまることではないです。ただ、子どもは関わり方、環境の在り方次第で柔軟にのびのびと発想力豊かに学んでいくというのは変わりません。そこをどうやって伸ばしていけるかを一生懸命考えなければいけません。それもずっと変わらないことだと思います。
あえて教えない
これって生徒を信頼してないと
出来ないんだよねぇ。
そして生徒はその信頼に応えた。
いや、
そもそもこう言った
本質的行動を普段からしていたんだろう。
それを無意識の行動から
この学習を通して
クラス全体へ意識しての行動へと
背中を押したと言った感じだろう。
この記事の80年代と比べて
今は遥かに環境は整っている
自ら動けば教えてもらう必要など
全くない時代になったのだから
もっと動こうとしても良いはずだ。
しかし現実を見ると
そういった部分でも
年々格差が拡がっているような気がする。