台本11冊を入手 五輪開会式“崩壊” 全内幕 計1199ページにすべての変遷が
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冒頭で読むのを止めました。
先の東京五輪(1964年)の記録映画は、故市川崑監督がメガホンを取りました。それにインスパイアされたというクロード・ルルシュ監督によるグルノーブル五輪(1968年)の記録映画は、素晴らしいBGMの効果もあり、私の愛するところです。いずれの五輪も、開会式は記録するに値する厳かさを、そして美しさを持っていたと感じます。アナクロではなく、今観ても素晴らしく感じます。
さて今回の東京五輪、ゴタゴタの末に実施された実際の開会式もどうかと感じましたが、当初に想定された五輪の開会式でも、そうした記録映画を作るに値したかどうか、イベントを設計した代理店の方々に、素直に問うてみたいです。
彼らはセンスが良いと、きっと感じていたんだとは思いますが。私は記録映画を作るには値しないと感じました。凄い身内感でした。然るに、身内のスキャンダルで崩壊したのでしょう。
崩壊して行く過程は、故スタンリー・キューブリック監督が当たりに撮って頂きたかった。さながら「博士の異常な愛情」的な。
注目のコメント
「幻」などと言わず、来年あたりに新国立競技場を貸し切って、この内容で「自主開会式」を開催できないものでしょうか。各国の入場行進はないにしても。
ショーとしてお金を払う人はいるんじゃないでしょうか。
ここまで顕在化した旧弊を打ち破り、アフターオリンピックの新しい日本を宣誓するセレモニーの内容としてはうってつけだと思います。文春砲。これは凄まじい記事
どこからコメントして良いのかわからないですが、原案見たかった、というのは間違いない
ずっと疑問だった任天堂いない問題はやはり一連のゴタゴタによるものだったんですね
当初はむしろ中心的存在だったとのことで、やっぱりマリオを見たかった
本当に勿体ない統一感のなかった開会式の背景についてのまとめ記事。
MIKIKOさんの開会式を見たかったと誰もが思うはずです。
クリエイター・アーティストを軽んじ、開会式の目的をも取り違い、個別最適(私利私欲?)を優先して、開会式を台無しにした人たちは、二度とこういったイベントに口を挟まないでほしい。日本の恥であり、日本の未来を潰した戦犯です。