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江田五月氏は、東京大学教養学部自治会委員長時代、大学管理制度改革に反発し、全学ストを決行。このストを指揮したとして、1962年11月、退学処分を受けました。ちょうど同じ年、父親の江田三郎さんが左派の攻撃を受けて社会党書記長を辞任します。父と子が、同じ時期にそれぞれの母体の組織から放逐されるという強烈な体験をしています。ただ、人柄は飄々とした方で、そうした体験をした人とは思えませんでした。
お父さんは「早すぎた改革者」と言われましたが、江田五月さんにもそうした面があったと感じます。政権交代の立役者の1人ですが、今、もし60歳でおられたら、と思ったりもします。
人間として信頼できる人でした。ご冥福をお祈りします。合掌。
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Newspicksのコメントを見ても、今の若い方の中では社会党とか、その系譜の中にある革新政党のイメージが極端に悪い。これは民主党のせいでしょう。

一方、55年体制の初期において自民党と社会党が裏では手を握り、社会民主主義に近い格差の少ない社会をつくってきた側面もあるわけです。
自民党主流派の宏池会は社会党右派と考え方が近い部分もありましたから。

それに、当時の社会党の知的レベルは今の野党よりかなり高かったと思います。戦後の知識人の多くは左翼系が多かったですから。
その中では、江田さん親子は社会民主主義を指向する右派系理論派の系統だと思います。他の方のコメントにあるようなテロリスト予備軍ではありません。

社会の格差が進んで不満が蓄積されていくと、一般的には左傾化が進むのですが、日本にはその受け皿がなく、なぜか陰謀論に染まる人が増えている。

この年になると分かりますが、人生の多くは運で左右されます。若者にチャレンジを説く威勢のいい本がたくさんありますが、全員が成功することなどありません。
頑張っても運悪く負け組になった人の味方になるちゃんとした政党がないのは困ります。
福田赳夫さんや鳩山威一郎さんと共に「伝説の大秀才」としての逸話を数多くお聞きし、どういう方なのだろうと思っておりましたが、国会回りのカバン持ちとしてお会いした際、大変丁寧でお優しい方で、感銘を受けたことを覚えております。ご冥福をお祈りいたします。
東大法学部で全優の成績を収め、東大100年記念の雑誌に成績表の写真が掲載された江田五月氏。

在学中に司法試験にも合格した秀才。

跡取りとはいえ、自由に学究の道に進んでいれば突出した人物になっていたかもしれません。

心からご冥福をお祈りいたします。
この年代の野党の国会議員で、それなりに上り詰めた方は、皆さん、高い見識と豊富な知識をお持ちでした。
正直言って、今の国会議員のレベルとはかなり違います。

大変な読書家でした。

議員会館の部屋も沢山の本で溢れていた方です。
ご冥福をお祈りいたします。
参院議長、法相などを歴任された江田五月さんがお亡くなりに...
弁護士でもあり穏やかなイメージありました。
ご冥福をお祈りいたします...