開会式『ドラクエ』曲?報道作曲者すぎやま氏、過去に「同性愛から子ども生まれない。決定的」発言
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注目のコメント
流れましたね。
ということはこうした批判を覚悟することになります。
私も確かにあのロトのテーマが開会式で流れたときには感動しましたが、ドラクエを知らない多くの国では日本の有名なゲームで使われている曲として紹介されます。
そしてそのすぎやまさんは過去にこうした発言をしている人と紹介されます。
ドラクエの偉大さを分かっている者としてはあのテーマ曲がここで流れることは物凄い感慨深いものがあります。
が、今回は過去の発言で排除していった中での五輪です。
最後まで妥当な人はいなかった、という風に扱われる危険性は認識することになります。
作品とその人の思想は本来区別すべきものです。
しかし、そう受け取ってもらえない可能性がある選択をした、ということは認識した上で、作品とその人の思想は別として覚悟する必要がある訳です。
私はこの曲、あくまで名曲だと思っています。
しかし、知らない人ならこうした情報が伝わるとそうは取らないかも知れません。LGBTを王侯貴族のような特権的地位にしようという企てでも世の中にあるのだろうか? 差別は良くないが、誰も特権的地位まで擁護するつもりはない。
「同性愛から子どもは生まれない」は当たり前の事実だし、そんなことも言えなくなるのは明らかに行き過ぎだろう。
そういう当たり前の事実を「その通り」と受け止めた上で、身寄りのないこどもを親として引き受ける(こどもが嫌がるかもしれんが、それは置いておいて)ことに積極的に取り組むとか、それなりのアクションによって、それなら税金で補助に値するとかいう方向に世論を変えて行くことも必要だよね。
で、ドラクエだって勇者は男らしいから勇者であることも事実だし、すぎやまさんがそういう人だから、こういう勇ましい音楽が出来たこともあるだろうと思う。
そういうものもひっくるめて、他人の価値観を無責任に批判すべきもんでもないだろう。私はLGBTQに肯定的ですがここまでくると嫌悪感に変わってしまいます。
愛してる人と一緒にいたいのは男女間・男同士・女同士・その他のいずれでも同じですが生物学的に同性との間には子供が産まれないのは、理科を学習した事のある人なら誰でも分かっています。
これを否定する人は先日中国で実験された「オスのマウスが出産した」というニュースの実験を人間でもやればいいと言うのでしょうか?
今まで否定される事ばかりだったマイノリティには、どんな非肯定的な発言も一切認めない、という風潮は否定されるべき。
それが罷り通れば、かつて自分達がされてイヤだった事を他人にしてもOKとなってしまい、それこそ多様性とは対極に位置する思考です。