2021/7/24

東江雄斗が語る「世界最下位」「東京五輪」「まだまだだね」

32年ぶりの五輪出場が決まっている男子ハンドボール。しかし昨年の世界選手権では24チーム中最下位。果たして本番でサプライズを起こすことはできるのか。ハンドボール界のサラブレッドにして日本代表の絶対的司令塔、東江雄斗選手に“逆襲のシナリオ”について聞いた。
東江雄斗(あがりえ・ゆうと) 1993年7月6日、沖縄県浦添市出身。早稲田大学4年で日本代表入り。大学卒業後、大同特殊鋼フェニックスに入団。1年目の2016年からリーグMVP、得点王、ベストセブンとトリプル受賞するなど、日本ハンドボール界を牽引する。今年1月のアジア選手権では大会MVPに選出。大同特殊鋼フェニックス所属。

アジア3位、世界最下位の現在地

──オリンピックイヤーが明けましたが、現在の心境はいかがですか。
東江雄斗(以下、東江) あと半年ちょっとで本番が始まるって考えると、「いよいよか」という気持ちもありますが、でも意外と焦りという感じはありません。
──ご自身のコンディションは?
東江 日本リーグでは個人タイトルを狙える位置にいますし、代表の方でも先日のアジア選手権で大会MVPを獲れたこともあっていい手応えを感じています。
──そのアジア選手権で日本は3位でした。
東江 目標はアジアチャンピオンだったので悔しい結果でした。準決勝で韓国に負けてしまったのが、とくに悔しいですね。でも世界選手権の出場権を獲ることができたのは素直に嬉しい。あとは、アジアのオリンピック予選でチャンピオンになったバーレーンにも2戦2勝できたので、そこは自信につながる大会でした。
──悔しいとおっしゃった韓国戦では終始リードをしながらの逆転負けでした。
東江 ずっとリードしていたのに追いつかれてしまった。精神的な部分で弱さが出てしまいました。7点差に開いたとき、そこで気持ちを切らさずに息の根を止めることができればよかった。
「あ、いける」という安心感じゃないですけど、そういう気持ちがどこかしらにあったのかもしれません。韓国のイケイケの追い上げムードに押されて、大事な場面で消極的になった。いつも通りのプレーができず悔やまれる試合でした。
──昨年1月の世界選手権は全敗。順位も24チーム中最下位でした。この結果をどう受け止めていますか。
東江 結果は全敗に終わりましたが、2年前(の世界選手権)と比べて、前半は勝っている試合もあったりして、後半の残り数分まで接戦のゲームとかもできていた。世界との差は縮まってきていると感じています。
韓国戦でもそうでしたが、やはり一番はメンタル的な弱さです。前半でリードをしても、後半に入って相手も死に物狂いで来ると、勝つことに対して自分たちがビビってしまうというか、消極的になってしまう。
──リードしていることに対して怯えてしまう?
東江 いままでになかった展開で、そこで“勝ちビビり”みたいな感覚になってしまう。昨年の世界選手権のスペイン戦も、強豪相手に途中までリードしていたのですが……。
──引いて守りに入るということでしょうか。
東江 守りに入るという言葉は正しくないですかね……。なんて言ったらいいんだろう。
リードをしている経験が少ないから、自信が持てていないんだと思います。現チームではヨーロッパの強豪国には勝てていないので、メンタル的に「どうしよう」という感覚になる。そのまま試合が流れて、プレーにも迷いが出てきたり、普段は噛み合っていたコンビネーションも合わなくなってきたり。
──そうした混乱状況になったとき、誰がチームを落ち着かせるのですか。
東江 コートにいる選手たちで言葉を掛け合ったり、監督がタイムアウトをとって落ち着かせたりすることもあります。
──改善策は想定されていますか?
東江 時間の使い方ですね。ハンドボールの試合は60分ですが、攻防が激しいスポーツなんです。
たとえば、1分くらい攻めていたら、審判から「パッシブプレー」(※編集部注:攻撃側の遅延行為。NBAの24秒ルールなどが代表例。ハンドボールの場合、その判断が審判に委ねられる)と言われる。そこから6回以内でシュートまで持っていかないと反則を取られます。
一方で、すぐにシュートに行くと15〜20秒くらいで攻撃が終わって、そこから“逆速攻”でカウンターアタックをやられることが多い。どうやって速攻を受けないように戦っていくか。そういった時間の使い方をもっと勉強しなくてはいけないですね。
──たとえば、サッカーでは、リードしているチームの選手が、接触プレーでピッチに倒れて“時間稼ぎ”をすることがあります。いわゆるマリーシア=ずる賢さと呼ばれています。
東江 ハンドボールはシュート体勢に入ったときに横や後ろから接触したら、サッカーでいうPKが与えられます。けれど、正面で接触することは許されている。正面で当たりながらホールディングをしたらファウルですが、軽度なファウルで済むんです。
そういう意味では、軽度のファウルをいかにもらって時間を稼ぐかとか、そういったことも身につけないといけないですね。

「命をかけて戦いに行く」気持ちを

──東江選手は、日本代表でセンターバックという司令塔のポジションを担っています。チームをコントロールする立場でもあります。
東江 僕のポジションはゲームを組み立てる役割、いわばコート上の監督。だから僕が指示を出してゲームプランを立てていく。攻撃を組み立てるので、僕が迷い出したら攻撃の歯車が狂ってしまいます。そこはしっかり統一させて、最低限シュートまで持っていかないといけない。監督からもつねづね「しっかりゲームをコントロールしろ」とは言われています。
──世界との差は、どんなところに感じますか。
東江 日本人と海外の選手だと体格差がかなりあるので、日本で通用していたプレーが通用しなくなることですね。日本で「接触されてもパスが通る」ところが、海外では、当たりの強さや相手のリーチの長さで変わってくる。いつも通せる空間が、リーチの長さで消されて見えなくなったり。
そうすると焦りも出てきます。去年から代表として国際試合を積んできて、そこの部分の慣れは以前よりありますが、世界での経験のなさが、負けにつながっているところはあるかもしれません。結局、最後はメンタルでしょう。
──世界の壁を打ち破るために、チームとして取り組んでいることは?
東江 去年からメンタルトレーニングを導入しています。世界選手権が終わった頃から、すでに十数回くらいやっています。
──具体的な内容は?
東江 長期合宿があれば、4〜5回の講義があります。基本的には座学で、そこでグループトーキングしたり、リラックス法を教えてもらったり。たとえば、自分たちのゲームを見直して、「このときの心境はどうだったか?」と分析したり、ネガティブな言葉を言わないようにしたり、改めてどうやって戦う姿勢を作り出すかといったことを話し合っています。
まずは戦う姿勢を学んで徐々にメンタルを作り上げていく。“対世界”となると格上なので、以前だったら最初から気持ちで負けている部分はあった。メンタルトレーニングをやって、気持ちでは負けないというところを作り出せている気がします。チーム内でお互いがケツを叩き合って試合に臨んだり。「命をかけて戦いに行く」ような気持ちへと持っていくイメージです。国を背負って戦っていますから。
──チームとしてメンタル部分の支えは?
東江 キャプテンの土井レミイ杏利さんの存在ですね。フランスのリーグで6年間プレーして、去年日本に帰ってきたんですが、彼が発信する言葉はつねにメンタル的なものばかり。試合前も技術的なことを言うのではなく、「気持ちで負けるな」、「コンタクトで怖じけるな」、「どれだけ勝ちたいという気持ちをコートで表現するかでこの試合は結果が変わるから」、「思いっきり暴れるぞ」といった感じで。そこでみんな気持ちが入ってプレーできています。
──精神的支柱の存在は大きいですね。では、東江選手が見てほしい自身の武器はなんでしょうか?
東江 実は突出した能力がないんです。すべての能力がオール4で、そこに応用力や対応力が少しだけ他の人たちより優れているのかなと。シュートスピードだって平均時速くらいで100〜110キロです。海外のめちゃくちゃ速い人で141キロくらい。日本人だと部井久アダム勇樹が一番速くて130キロくらいですね。
──ジャンプ力は見ていて驚きました。
東江 いえいえ、ジャンプだって飛べません。垂直跳びは50〜60センチくらい。20代の平均が60センチくらいですから、僕は平均以下です(笑)。
でもシュートスピードにしろジャンプにしろ走るスピードにしろ、速く見せるやり方や飛び方でカバーしようと心がけています。
そういった、変な表現ですが“ハンドボールIQ”とか“センス”の部分は負けたくない。物心ついたときから遊び感覚でやっていて、父からは昔から「点が取れてさばける選手になれ!」と教わってきたことが、自然と、こういうプレースタイルにたどり着いたところはあります。

憧れの「7」を自分の背中に

──元々、東江選手のご両親もハンドボールをやっていたそうですね。
東江 はい。父は実業団でプレーして、母も国体選手でした。兄もやっていて、ハンドボール一家なんです。小さい頃からずっとテレビを観る感覚で、いつもハンドボールの試合ばかり観ていました。家族の会話もハンドボール。テレビを観て芸能人の話をするより、ハンドボールの試合を観ながら「ここはこうだよね」という会話が多かった。いま考えると普通じゃないですよね(笑)。
──そんなお父さんからは、どんなことを言われて育ってきましたか。
東江 「まだまだだね」です(笑)。
厳しい言葉を掛けられているように聞こえますが、僕の解釈は少し違っていて。ハンドボールは相手を欺くようなプレーが重要です。もし、自分がそこで相手を上回ることができたら(相手に対して)「まだまだだね」と思える。自信が持てる言葉になります。
一方で、それが失敗したら自分に対して「まだまだだね」となる。成長しなきゃと鼓舞する言葉になる。どちらにでもとらえられる言葉なんです。
父に言われているときは「鬱陶しい」と思っていたんですが(笑)、ずっと言われてきたからこそ、認められようって頑張ってこれたと思います。
──環境が人を育てるとよく言いますが、両親の影響が大きかったんですね。他にも影響を受けた選手はいますか。
東江 父の知人から勧められたハンドボールのDVDがあるんですけど、それを観たときに「なんだこの選手!」とひと目惚れした選手が、大同特殊鋼でプレーしていた元韓国代表のペク・ウォンチョル選手と、元クロアチア代表だったイヴァノ・バリッチ選手です。
このふたりは僕にとってのアイドルです。ずっと彼らのプレー集を観て真似て練習していました。じつは、ペクさんが大同特殊鋼を辞めてから、彼がつけていた20番を永久欠番にしていたのですが、僕が入部したとき、自分がペクさんファンということを当時の監督が知っていて、ペクさんのような選手になってほしいという思いから与えてくださった。
──憧れのふたりに近づいている感覚はありますか。
東江 そんなそんな。まだまだ届かないところにいる存在です。
──サッカーでは10番がエースナンバーとされていますが、ハンドボールにとってのエースナンバーは?
東江 ハンドボールにエースナンバーはありませんが、エース的存在だった宮崎大輔さんが2003年から十何年もずっと代表チームで7番を着けています。その前のエースだった人もずっと7番。大輔さんはハンドボール界のスーパーレジェンドです。いるとチーム内がざわつくくらい(笑)。
僕は、クラブでは20番をつけさせてもらっていますが、小さい頃は3番でした。父親が大崎電気でプレーしていたときのが3番だったので、その影響で、僕も兄も学生時代はほとんど3番をつけていました。日本代表では3番は他の選手がつけていたので33番ですが、いつかは、大輔さんがつけてきた背番号7を引き継ぎたいな、という思いはあります。
──東京オリンピックでの具体的な目標は?
東江 メダル獲得と言いたいところですが、まず決勝トーナメント進出を目標にして、そこからヨーロッパの強豪国にチャレンジして勝利を目指していきたいですね。
──昨年の世界選手権で最下位だった日本が、本番でサプライズを起こすための条件を挙げるとしたら?
東江 とにかくひとりひとりのレベルを上げていくこと。そうじゃないと、サプライズは起こせない。個人的にも、メンタルの部分、フィジカルスキルはもちろん、すべてにおいて、もう1、2段階レベルアップしていかなくてはいけない。
あとは、海外のチームと試合をたくさんして経験を積んで、“勝ちグセ”を身につけること。1回でも世界の強豪に勝てれば、日本の勝ちパターンが見えてくると思いますから。いまはみんなやる気に満ち溢れている。それがいい方向に行けば結果も変わってくると思います。