東京五輪「完全な失敗」 米紙「熱気は敵意に」
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開催が決まった以上、大会が成功し、選手には少しでもいい思い出を持って帰国していただきたいですが、東京五輪はほぼ全てにおいて、リスクマネジメントの失敗例として記憶されるでしょう。
リスクは避けようがなく、いくら徹底的なリスクマネジメントを実行しても損失を被ることがあるので、「結局ダメだったじゃないか」というのは筋が違います。リスクマネジメントの目的は、リスクが現実化しても組織や個人が生き残って価値を生み出し続けられるようになることです。
昨年春までのオリンピックキャンペーンやプロモーションなど、「得になりそうなこと、楽しそうなこと」には積極的だったのに、コロナの感染拡大でいったん守りに入った途端に、当事者が全てリスク回避と保身に走ったという印象を拭えません。開会直前の無観客決定は、リスク対応を放棄した例の一つでしょう。昨年から一年延期することを決めたのであれば、大会期間中東京でこれだけの感染者数になっても対応できる医療体制を確保し、そのための法整備と予算確保をするべきでした。後出しジャンケンの批判と言われるかもしれませんが、オリンピック開催の意思決定に関わることがないのに負担を求められる一国民なのですから、これぐらいは言わせてもらってもいいでしょう。
総じていえば、現代の日本の政策決定と遂行は、太平洋戦争に突入した頃のレベルから全然変わっていないということです。先の戦争でも、開戦と初期の連勝のときは国を挙げて威勢が良かったのに、ミッドウェー以降の戦況不利の状況では、政策遂行者がそれぞれ勝手なことを言い出して、最終的には原爆を2発落とされるまで事態収集(終戦)ができませんでした。
私の祖父はその戦争で亡くなり、靖国に祀られています。本人は悔しかったはずです。それでも戦争後の日本はもっと良くなるという思いがあったでしょう。それが実際には戦前から全然成長していないとなれば、我々は亡くなった軍民全ての柱にどのように顔向けできるのか、オリンピック、原爆記念日、終戦記念日というイベントを前に熟考しなければならないでしょう。日本の知性・理性・品性の劣化を憂えずにはいられません。
注目のコメント
色々な成功者が「失敗と思うまでは失敗でない」と言います。
とある架空のコーチは「諦めたらそこで試合終了ですよ」と言う。
実行責任のない1メディアの評価に賢明な国民である我々が踊らされる必要はありません。
この状況から何が出来るのか?
未来にどう繋げられるのか?
そういう考えを100000000人で持てたらすごいんじゃないかな。やっちまったって事なんてみんな分かってます。
しかし、そんな敵意が生まれるほど皆さん熱気はありません。
無気力です。諦めです。もう、傷口に塩は刷り込まないでください。