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そーちゃんという知恵遅れの友達がいました。
小学生のころ、母親から「そーちゃんを仲間に入れて遊んであげるのよ」と言われていました。友人たちも同様に母親からそう言われていたようです。

一緒に遊んでいるのだけれど、そーちゃんと僕たちのテンポがだんだんずれてきて、途中でそーちゃんを置いてけぼりにして、ほかの遊びに行くことがありました。そういう時はそーちゃんは、ニコニコ笑いながら自宅に帰っていきました。
ある時、あまりにもそーちゃんがノロいので、「遠くにある神社まで走って行って帰ってこいよ、それから遊ぼう」と言って厄介払いをしたら、近くで見ていた八百屋のおばちゃんに、すごい剣幕で叱られたことがあります。
その時も そーちゃんはニコニコ笑いながら、神社まで走っていきました。

中学生になるころからは、そーちゃんは特別クラス生徒になり、我々と遊ぶことはなくなりました。

40年後中学の同窓会に行ったら、シャキッとした顔のそーちゃんがいて胸が熱くなった。お互いに「元気か?」といった挨拶だけだったけれど、こういう話を聞くとそーちゃんのことを思い出すのだよね。
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#MeToo の時も「時効」の議論が起きました。歳月は忘却と記憶の変質を伴うものであり、私も今なお明確な意見を持ちえないでいます。しかし、性暴力の被害を何十年も話せずにいる人が少なくないことは社会としてしっかり受け止めるべきです。今回の問題でも、壮絶ないじめ被害を受けた人が声を上げずにいたことを重く見るべきだと考えます。思い出したくもないトラウマを負った可能性があります。小山田さんのこの記事は過去にも話題になったようです。やはり、間違いに気づいた段階で、どんな形であれ、謝罪すべきだったと思います。真摯な謝罪がない限り、「時効」はないのでしょう。
別の観点からもコメントします。この世界的プロジェクトにあたり、大会執行陣は何をしていたのか。開会式の音楽をメーンで担当する人の身体検査をするのは当然です。「知らなかった」ではすまないと考えます。大会エンブレムの不幸な問題や渡辺直美さんへの侮辱発言は、事前に察知するのは無理だったと思いますが、今回の事態は事前に防げたはずです。傷付く人をさらに出してしまった責任は重いと考えます。
1994年って今の人たちからするとすごい昔のことみたいに感じて、当時ならこんなことが許されたというようなことを言うひとも見受けられるけど、そんなことはないよ。私は1994年は報道からバラエティーに移ってバリバリやってた頃だけど、当時だってこんな酷い話をメジャーなメディアに載せたら大問題になってた。
組織委もちゃんとチェックしておけよという案件。これはもう外すしかないでしょ。開会式の音楽を聴いたらこんな酷い虐めを自慢した奴が作った音楽だとどうしても意識してしまう。でも今から別の人にして間に合うのかというとそれも困難そう。悩ましいことになっちまったなぁ。
この件に関していろいろ思考して長いコメントをまとめる気になれません。ただただ、早急に人を変えて欲しい。

追記:
様々な見地から長いコメントを書かれている方への批判ではないですよ。パラ選手という立場上スルーもできないのでコメントするものの、この件に対して時間を費やして思考するのは正直しんどい。
小中学校の頃のいじめ加害を自分の中に抱え込んでいた(古い言い方だと「抱いて死ぬ」)のならまだしも、成年になって雑誌の対談で冗談ぽく明らかにしたことには、それなりに責任が追求されるのはやむを得ないでしょう。
対談記事は出版物としてこれからも未来永劫保管され、その時代を切り取るアーカイブとして存在し続けます。その意味の重みを、一個人として自戒を込めて考え直さないといけないと思います。

また、こちらの記事(https://ta-nishi.hatenablog.com/entry/2021/07/17/112215 )にも関係しますが、今後はインターネットが巨大なデータベースとして機能していくことになるでしょう。無数のネット民がリサーチャーとしてバックグラウンドチェックをするようになります。以前から言われていることですが、ネットの影響力にもっと意識を向けなければならない時代に入ったといえます。
人として社会生活をしていく中での「超えては行けない一線」を、人はそれぞれの感情から生まれる価値観を持ち、時に社会で共同生活する周囲と価値観共有しながら生きています。
 
今回の記事は、明確に人としての道から外れていると感じました。
 
どんなに素晴らしい作品を作ったとしても、受け入れることは無理です。
「27年前の記事ですが、それはいつまでも読まれ続けるものであり、掲載責任者としての責任は、これからも問われ続け、それを引き受け続けなければならないものと考えています。」
今は紙の雑誌そのものが手元になくても、インターネットで記事内容や記事の写真を瞬時に共有できる時代。これまでなら忘れ去られていたかもしれない情報が思わぬ形で拡散されるということは珍しくないと思います。

他方、例えば昔の漫画や番組を動画で観ると、今では考えられないような発言や行為が映し出されるケースも少なくないです。時代が違うというのは本件言い訳にしかならないとは思いますが、この記事が書かれた時代と現代では倫理観、コンプライアンスなど状況が異なるのは確かだとは思います。

企業ではなく個人レベルで記事ではなくても、自分のSNSの発信には責任を持っていきたいですね。自戒を込めて。

【小山田圭吾さんの謝罪声明全文。傷付けてしまった本人に「直接謝罪をしたい」】
https://newspicks.com/news/6022128
事ある毎に蒸し返されるのは、当時の時代背景を考慮しても、全く賛同出来ない内容だから。
今回の件で危惧されるのは、こうした批判の行き着く先が、被害者の特定や家族を巻き込んだ取材にまで進展すること。被害者の気持ちより、加害者への断罪が優先される。
処分はあってしかるべきで、いじめ行為を無くすのも大事ですが、議論が過熱して被害者が二次被害を受けるような事態にならなければ良いな。
Twitterとかで過去にイキリTweetしてる向きには、この後から指摘されることについて後ろめたいところもあるかもしれない。そんな発言してた自分も自分自身なのだから、隠すことなく、反省することは反省し、謝罪することは謝罪する必要あるかもしれない。

「人間、清廉潔白が・・・」、と言いたくなるかもしれないが、清廉潔白な人もいる以上、それはなしですよ。

私自身も、あとからいろいろと言われるかもしれないし、言われないかもしれないし。
そもそも東京五輪招致の時は椎名林檎だったのに、なんで今、コーネリアス(&フリッパーズギター)なん?と思ったら野村萬斎を中心とした演出チームは昨年末に費用が嵩むことを理由に解散してたのね。
https://www.yomiuri.co.jp/olympic/2020/20201223-OYT1T50066/

世界に冠たる音楽家は日本には名だたる人々がいてお金を掛けなくても歌声や音楽で人々に勇気や感動を与えられる人たちは本当に沢山います。
でもまあ、東京五輪で国歌斉唱だけ、というわけにもいかないから、なんらか演出は必要だし音楽も必要、でも、こんなに世論が五輪に逆風の時に引き受ける人も居なかったと。納期も予算も限られてたのだろうし…
なんせトヨタがCMを流さないと決めるくらいなのだから。

記事さえ読まなければ何を昔のことを…とも思ったけど、問題の記事読むと、途中読んでいられないほどキツい内容を笑いながら本人が話してるとてもとても酷い記事で、これを取材して文字に起こして掲載して全国に出したロキノン編集者は二重に被害者に苦痛を与えてるし、何年経っても残る傷跡を残してる。
何かの折にネットから発掘される度に、被害者は苦痛を受け続けたことだろう。当時の世相では、いじめがクール、面白いみたいな雰囲気もあったのだろうか。関西ではイジリみたいなのも最近まであったし、それをネタにしてる向きも多かった。今はそういうのは全く流行らなくなったけども。
それにしても、今更こんなことが明るみになるなんて…音楽や演出を今から差し替えることも出来ないだろうし…。
選手たちはただただ、良い結果を出して欲しいし、頑張ってほしいのに、素直に開催を楽しめないなんてなあ…

降りろコールはわかるが、現実的には無音では開会式も出来ないだろうし、どうしようもないのだろう…開会式の演出に合わせた音楽を1週間切って全て作り直せる神様みたいなスキルと時間のある音楽家は流石に居ないだろうし。
たまたま最近ctrl+z忘れられる権利という本を読みました。忘れられる権利を認めるべきという国もある中で知る権利によって保護される別の人のことも考えたら安易に忘れられる権利を認めるべきではないという考えもあります。私は今回の件はこんな過去を持っていてかつバレるまで放置していたような人は不適当だと思うので知る権利側が大きかったと思ってます。