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タブーに切り込め!ここがおかしい「日本の保険」
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昨日排除アートの記事を読んでなんとも言えない複雑な気持ちになってたんですが、これは少し明るい未来を感じられる記事でした。
ただ反発したり、盲目に服従するのではなくて、こうやって提案できるの凄いです。

こういう一つ一つの現象って、ある意味「悪意」と捉えて批判する人が少なくない印象もあるんですが、行政側とか企業側の人たちは何とか悪いことが起きる確立が下がるようにと、彼らなりの「正義」感から、こういう対応をしてるんですよね。

実際問題、ベンチで酔っ払いが寝転がっていたり、若者がスケボーで遊んでケガ人が出た際にクレームを受けたり、批判される当事者になるのは彼らなわけで。

でも、日本がベンチが少ない国というのはなるほど納得。
なんかパブリックな空間をどう作っていくかという視点が、いつの間にか日本の社会から減ってしまっている印象がありますね。

デザインの力で、街の景色をどう良い方向に変えていけるかということが実践できる人は本当に尊敬します。
ズラせる、取り外せるっていうのは実に素敵なアイデア。モノづくりをする人の中には完成形を提示したがる人もいるけど、こういうふうに使う人がそれぞれの思いや行動で変えていける未完成の提示が大事。排除するvs排除しないとか善悪とかいう二項対立になってしまうのも結局完成形思考の限界。どっちでもいいんだよ、そんなものは。
福生市にいけば、いまでも普通に敷居のない縁台ベンチがあちらこちらにおいてあります。
『ベンチのある風景』を求めるなら『ベンチによって産まれる被害』と向き合わなければならない。

これ、ベンチだけではなく世の取り組み全てに言えることですよね。
地域教育や地域コミニティも、面倒なことから目を背け続けた結果脆弱になってしまった。

もう一度こういった社会を求める動きが増えたことは明るい兆しですね。
本来は本当の意味で公共であった方が豊かな世界なのは間違いない。
多様性とは、って問い続けないとこの視点にすら無感情になっちゃうから為になる記事でした。
排除ベンチはホームレス問題の根本的な解決にはならないし、排除しないベンチにしてホームレス達が戻って来て一部の人に圧迫感を与えるのも違う。
もっと様々な場所で多様な人と繋がって自分と違う人に対して感じる違和感とか恐怖感をなくすような社会のデザインが必要なんだろうとは思うけど…
多様性って難しい。
作りたくて作っているわけでなく、依頼主と戦いながら理解してもらいながらやられていることがわかった。