多くの人が知らない「勉強は頑張ればできる」で済ませてしまうこの国の“大問題”
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注目のコメント
「具体的には、「両親が大卒で世帯年収が高い」というような社会経済的地位が高い家庭(高SES層)は子の生活(時間)に意図的な介入を行うことで、望ましい行動、態度、技術などを形成しようとする。」
「一方、「両親が非大卒で世帯年収が低い」というような社会経済的地位の低い家庭(低SES層)では、大人の意図的な介入がなくても子どもは育つと考え、「放っておいても子どもは育つ」という信念に基づいた子育てを行う。」
全く当てはまるとまでは思わないけど、概ねその通りなんかなー、と。
教育方針については親の経験が大きいのと、低SES層については「最低ラインでも現状どうにか生きていける」って感覚も大きいかと。
現状の学校では漸進的に学力を伸ばさないとついてけない分、置いてかれた生徒を拾ってカバーするのは学校というより親のカバーが重要かな、と。
「頑張りゃできる」ってのも気休めにしかならないし、そもそも頑張り方の分からない子に対しては一緒に道を探るしかないのかな。同じ年令なのに何であんなに優秀なのか
彼・彼女は何を読み、何から学び、どう考えるのか、同級生からしか学べない事もある。
親の世代は親の時代
親の財力は大きいでしょう
でも、英語の得意な子供にしたければ親がそれ以上に得意であり努力している事では勉強という言葉の定義が難しいです。
自分の中では知識や考えを知ったり使ってみたりすることで世界が広がること、あたりになるかと思ってますが、学校だとどうしてもマスを埋める作業になり、人によっては苦行になってしまいます。
問題は学校の先生他、勉強を苦行としてやってきた大人が困っている低SESの子どもに対してやらなくていいよのメッセージを出してしまうことです。特に中学生でほどほど学校生活適応ある子がほっておかれ、後々苦労しています。
勉強ができない=勉強のやる気がない、とは限らないと思います。