早期退職した「大企業の管理職」を襲う「どこにも居場所がない」という大問題
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シニア男性は会社、家庭以外のサードプレイスが必要というのは、まさにそう。生涯現役として働くことも選択肢のひとつですね。人生の後半期を楽しく生きるために、今から準備しておきたいものです。
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私の実体験で言えば、確かにサラリーマンとして働いた会社時代の名刺、肩書きで繋がっていた人の大部分はパッと消えて無くなります。でも確かにそれに期待する自分も少しはありました。そこでまず落ち込むんです。
また社外からのお誘いやヘッドハンターからのお誘いもあるだろうと驕っていた自分もありました。そういうのはほとんどありません。
そこで自分の価値に改めて気付かされるのです。
結局は会社生活の中でどれだけ、社内外で良い関係をつくることができたかが問われます。でもなかなかそれは在任中はわかりませんし、だからと言って何か仕事の話がくるなんてありません。
だからこそ、そう言うことに頼る自分に早く見切りをつけていくしかないのです。マインドセットですね。
私は会社を辞めてシンガポールでの起業に挑戦しましたが、うまく行かず今は日本で再度挑戦を続けていますが、なかなかそう簡単にはいきません。でもそれを楽しめる自分でありたいと思っています。
自分のサードプレイスは色々とありますが、やはり仕事の基盤があってこそのサードプレイスかなと。60代だと趣味だけで残りの人生を終わりたくないでしょう。
私が今の50代の皆さんにお伝えしたいことは、今から仕事以外の仲間との交流を広めること、打ち込める趣味を持つこと、そしてやはり新しいことを学習する意欲を失わないことです。
人間努力していれば、必ずどこかで運は開けて来ます。
果報は寝て待てと言われますが、それには日々の精進があってこそです。
ちなみに、シニア向けの顧問紹介の会社が色々とありますが、これって結局人の紹介するだけです。自分のこれまでの信用を傷つける危険性もあるので要注意です。
大事なのは支えてくれる家族かな。それはが一番難しいのかもですね。読んでいて何とも言えない気持ちになる記事でした。さすが現代ビジネス、というか。
サードプレイスというのはそもそも肩書きの関係ない出会いから始まるものですから、いわゆる「◯◯株式会社の」という名刺がなくて、自分が周りに何をできるのか?というのが問われるのだな、と自分がサードプレイスを運営していてるからこそ思います。
その意味でこの記事に出られた方は、昔の会社の人たちに会っている=まだ固執しているわけですから、それはサードプレイスは得られないのかな、と思います
私自身もいつかそうなるかもしれない、そう思わせるドキッとする記事でした。居場所なんかいりません。居場所なんてものを探すから苦しくなるんです。居場所を求めるということは肩書に固執することと何ら変わりません。
場所ではない。動点でいい。点は人の場合もあるが、決して気心のしれた仲間である必要もない。興味の場合もある。一冊の本だってそこから人とつながれる場合もある。それが僕の提唱している「接続するコミュニティ」で、講演では高齢者の方々が熱心に聞いてくれています。これが理解できないのは40代の今現役の肩書おっさんたちかなあ。