陰謀論にハマっている人達は、たぶん、ものすごく知的な活動をしていると思ってる
コメント
注目のコメント
宗教の教祖の部分は面白い意見だった。
ただ、ナウシカ原作で、皇兄ナムリスが皇弟ミラルパについて語った言葉も思い起こしたい。
これも信者が教祖を作るのと同じ構図だろうか。
若い頃 やつは本物の 慈悲深い名君だったよ
土民の平安を心底願っていた
だがそれも せいぜい最初の二十年さ
いつまでも愚かなままの土民を やがて憎むようになった論理的思考は発想のためにあるわけじゃないから、発想に結びつかないから論理的思考が不要、というのは論理的に間違ってる。かつ、論理の精度が高ければ最初から精度の高い発想に繋がりやすいので、結びつかない、というのも違うと思う。
また、異なる知識を柔軟に結びつけるのはヒト特有の脳の使い方である、という意味で発想は知的かもしれないけど、一般的には妄想や宗教(つまり検証されない発想)より科学の方が知的とされるのは、知的である条件がまさに科学の根幹である批判であるからに他ならない。適当な思いつきを並べる人より、高度に論理的にそれを検証できる人の方が知的と呼ばれて然るべき。
小説の効能については同意するけど、想像力を養うためとか、視野の狭さに気づくため、といった文脈のほうがしっくり来る。小説読んだから知的になれるかというと、そんなことはない。それっぽい発想とレトリック(いわゆるポエム)を流れるように発することができるようにはなるかもしれないけど、自分はそれを知的とは認めない。あー、これはよく分かる。こうやって「よく分かる」と勘違いすることもリスキーなのだけど。
論理的な思考ってのは積み重ねなので、ジャンプできないんだよね。ジャンプしないと突飛な発想に結びつかない。突飛な発想こそがイノベーションにつながる。
まあクソリプがいいかどうかはさておき、批判にさらされることは大事だよね。大学院生のとき、教授が「まずは否定的な目で見ることが大事。疑って疑って疑うんだ」って言ってて、「もっと人を信じろよ、何があったんだよお前」って思ってたけど、今考えるとそういう姿勢がないと新しいものは見つからないだろうし、間違った考えに落ち込むだろうな、と今なら分かる。
本当に、批判されない存在になること、否定されない環境にいること、ってリスクでしかないな、って思うわ。逆に僕も、おかしいと思ったらおかしいと伝えることも必要だなぁ。それこそが、お互いに知恵を高めていくはず。