【新】名画に学ぶ「ピンチをチャンスに変える」知恵
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画家というのはゴッホがそうであったように、生きているうちは絵が1枚しか売れなくても、死後に高く評価されて世界中で愛好されるようになれば、優れた画家であるといえます。そういう意味では、絵が売れるようにするのは、画家自身の仕事ではない、ともいえるでしょう。
ゴッホの場合、彼の弟が必死になってゴッホの作品が世に出回るように働き、ついに成功しました。誰かが絵を売るために働いてくれないと売れない、ともいえます。
生きているうちはもてはやされても、死後は誰も見向きもしなかった画家というのもたくさんいるし、そういう画家の方がむしろ多いです。作曲家や哲学者などにもいえることですが、仕事の評価は時代を超えて受けるもので、死んでからも長く残る仕事を残せるかどうかが勝負ともいえます。
レオナルド・ダ・ヴィンチの不幸は、彼自身が自分のことを画家とは思っていなかったし、画家扱いされたいとも思っていなかったことですね。彼がしたかったのは、技術によって都市を、さらには国家をつくることで、絵画はその技術の中の小さな一部分に過ぎませんでした。せいぜい、権力者に接近するための余技のようなものでした。
権力の中枢にあって、土木建築の技術でインフラをつくり、機械工学で兵器をつくって最強の軍隊をつくり、制度を整備し、かつてなかったような国家をつくる、というのは貴族でも何でもない平民のレオナルドにとってはあまりにも過ぎた野心でした。
この野心のために、教会軍総司令官チェーザレ・ボルジアをはじめ、暴君ともいわれるような権力者たちに接近しましたが、絵画はあくまで売り込みのための芸のようなものでした。結果的にレオナルドは生きているうちにその野心を実現できず、後世に残ったのは主に絵画で、史上最高の画家の一人として評価されることになりました。
アーティストも時代に適応しなければ生きていけません。レオナルド・ダ・ビンチが時代の狭間に取り残されていたとは。
日本美術史にも時代に適応できずに、凋落したものがあります。浮世絵もそのひとつ。印刷技術の進展によって、版画文化が廃れてしまいます。その浮世絵で一躍名をなしたのが、蔦屋重三郎。稀代のプロデューサーです。
美術史にもビジネスに活かせるケースが少なからずあることがよくわかりました。
絵に金ピカの額縁をつけ、印象派礼賛の記事を書くことによって、印象派の価値を高めた画商の話は、参考になります。
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