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「上司は偉い」の勘違いが生む日本企業の重大欠陥

東洋経済オンライン
私は普段から、リーダー、マネジャー、メンバーという言葉を使い、「上司」「部下」という言葉は使いません。本書では文意を伝えるために使っている箇所もありますが、自分では「上司部下(という言葉)撲滅委員会…
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私が入社した頃から上司部下という言葉はそもそも使いませんし、非常にフラットでイコールな関係性の中での組織です。
そして、役職はあくまでも、その人のスペシャリティ、専門性でありますから、役職を使って人のことを呼ばないために、私も今でもXX社長、XX役員などとは、呼ばれません。みんな、さん付けですね。
もちろん経験豊富な方の知見は大変参考になり、学ぶところ多くありますが、一方で経験年数が少なくても若手なりの視点に学ぶことも、多々あります。そういう場合は、私たちの常識は、全ての層における常識ではないことにただただ驚かされます。メンタリングに対して逆メンタリングがあるように、様々な層が持つ視点というのがあり、全てオープンに取り込むことができる人こそ強くなれる、そしてそういうリーダーにメンバーは一緒に切磋琢磨していきたいと思うのではないでしょうか。
平等主義のノルウェーに暮らして十年以上ですが、まさに「あなたは私より偉くない」という考え方が浸透しています。これは上司だけでなく、あらゆる組織や社会構造においてそうであり、社会的地位や学歴、年収、年齢などが上だからといってその人が「偉い」わけではないという合意があります。北欧で政治への参加が高いのも、政治家が偉いという意識が政治家にも市民にもないことが影響しているように感じます。また、この考え方はダイバーシティとも相性がよく、北欧の人がジェンダー平等の意識が高いこととも無関係ではないと思います。
最近、この考え方をよく聞くようになりました。僕は賛成ですし、僕自身も上司からずっと言われてきたので納得感があります。

一方で、日本の特に歴史ある企業だと中々その価値観が変わるには苦労を要しそうだなとも感じます。
儒教の考え的には年長者は敬うべきなわけで、それは学校教育でもなんとなく5年生より6年生の方が偉いみたいな感じが残ってる。もうこれは日本のいたる所にある。

日本の企業の代表的な人事制度である職能資格制度も、やっぱり年の概念がある。そういう環境で育ってきた人がいきなり「課長は役割でしかない」って言われてもピンとこない人のほうが多いんでしょうね。
本当に同感。然るに、マネージャーの給与が常にプレイヤーより高くなるような給与制度も誤りだと思う。

ただ上司は無条件で偉くはないが、その職責を背負うことに対する敬意を、課員が抱くのは自然と思う。

そして、年長者に対する敬意は、もっと別物。
その人の能力も職責も関係なく、自分よりも長い年月その組織を支えてきたことに純粋な敬意を払う。
それは良いことだと思う。
ただ、それは能力にも職責にも一切関係ないというだけ。
年長者を敬う文化を変えずとも、企業文化を変えることはきっとできる。
まさに、これですね!
ファッション業界や出版業界でも、プレイヤー型が多く、マネジメントの担い手が少なかったり、役割があやふやで、関係性に悩む人材や組織を多く見てきました。
OJTという名の、現場丸投げになりがちな人材育成や、チームビルディングなどを含めて、組織のあり方、企業のあり方を再考すべき時ですね。
それが、良い商品を生み出す力、良さを伝える力、欲しい人を開拓して届ける力などにつながると思っています。
全くおっしゃるとおりなのですが、なかなか理解されません…。
江戸から続く組織ヒエラルキーが受け継がれてきているので、この感覚を取り除くには世代交代をもう少し重ねないと無理なのではないかと感じています。

ちなみに役所でも役職が上がる毎に机と椅子が段々とお値段の高いものに変わります。
ありきたりな表現ですが、今は変化の激しい時代。年を重ねて経験を積んだから偉いではなく(もちろん尊重しますが)、常に今と向き合い、自分をアップデートしていくか。その意識がある人は、上下関係に固執しない
もう少し厳密に表現して欲しいですが、同じメンバーを扱う立場でもマネージャーとリーダーて大きく違う。マネジメントとリーディングの違いが分からない人が日本の組織には多すぎますね。マネージャーに方向性決めさせたがるメンバーもおかしいし、リーダーに管理職っぽいことをさせようとするメンバーもおかしい。双方向に役割を正しく認識していないることが、意識のギャップができてしまう根源。
>「リーダー」は「機能」でしかありません。

ここに尽きる。一般論として上司≒人間的にも優れてる と勘違いしているケースが散見されるのは昭和の人間