別姓訴訟、及び腰の最高裁 理由説かず…判事は男性中心
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>「国会マターだ」と積極的に関与しない姿勢も変わらなかった。
これは当たり前だと思いますが…
むしろ、司法が立法や行政に積極的に介入するようになったら世も末ですよ。。
賛成も反対もある中で、
「司法としては違憲状態とは言えない。」という合憲判決を下した判事のなかには女性もいるんですが…
「違憲と判断すべきなんではないか」と主張した中に男性判事もおりますし…
無理やり"男性中心のせいだ"とミスリードを誘う記事だと感じました。
注目のコメント
ここまで変わらないと、別姓を議論するより、フランスのように、結婚未満、婚約以上の制度であるPACSを導入した方が生産的なのではないか。出生率向上に寄与することも立証されているし。
別姓議論については、姓名が変わることによるアイデンティティロスを体験した人としていない人であまりに問題認識が違うこともあり、憲法議論にして良いのかという議論もあり、今のまま進めても成果を挙げるのは難しいように思う。
PACSにしても、昭和的メンタリティの方々は反対するだろうけれど、そうした方々の古いイエ制度に対するノスタルジーをいつまでも尊重するのではなく、将来を担う若者たちに生きやすさを提供してほしい。ただでさえ上が重くて息苦しいんだから。一連の報道を見ていて、コアな社会単位を家族ととらえるか個人ととらえるかの違いが、今回の別姓訴訟だけでなく、ジェンダー平等やあらゆる社会制度に影響しているように感じました。
北欧に住んでいると、個人としての責任も自由も感じます。家族も、個人からなる集団であり、例えば自分の子供だからといって進路に口を出すようなことはしません(助言やサポートはしますが、最終的にはその子の選択です)。夫婦も、独立した個人たちのユニオンであり、そういう意味で、結婚していても事実婚でも、姓名が同じでも違っても、あまり関係ない。では、個人主義でギスギスした社会かといえば、まったくそんなことはなく、家族や友人をものすごく大切にしますし、育児など特に熱心で、とても愛情深く子育てをしているように思います。
日本で別姓を認めないというのは、やはり家族単位で物事が進む社会なのだな、という感想です。しかし、過渡期にあり、そのせめぎ合いが現在進行形で起こっているのかな、と思います。もう何度も言っていることですが、結局日本人が日本をどういう社会にしたいのか、という根本のところを見極め、その社会にのっとった諸所の制度を考える必要があると思うのです。