日本の感染者「他国より少ない」=WHO、東京五輪に一定の理解
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感染対策の評価でのこういった考え方は間違いだ!
物事には、比較衡量が正当性の理由にならないことがある。
とりわけ、人の生命身体に拘わることは、功利主義的な議論をしてはからない。
究極の議論として、解がないので有名な「トロッコ問題」について、こうした考えは、容易に答えを見いだす。
つまり、対象の「価値」を推定して、価値の大きい方を優先する。
この議論は、ナチスの最終解決論に見られ、その現実の悲惨さと非倫理性を経験している。
にもかかわらず、感染者数の大小に評価の合理性を見いだすWHOは、新たな最終解決論に結びつくおそれが強い。
10万人の感染者よりも、10人の感染者は、感染被害が「少ない」と考えるのはどうしてだろう。
10が100000より少ないという算術を感染対策の評価に当てはめるのは悪魔の誤魔かしだ。
注目のコメント
報道記事用語なんだけど「一定の理解」ってなんだ?条件付き「理解」みたいなもんか?記事を読む限りWHOがなにか条件や前提をつけたとは読み取れないのだが。それともWHOが理解を示したのが気に入らないとか悔しいから「一定の」をつけたのか?
他国と比較すれば日本の感染者数、重症者数、死者数はさざ波程度と評されるぐらいなのは事実。
だからWHOのコメントは事実でありますが、国民感情からしたら関係ないです。
国民からしたら問題なのは、医療体制の新型コロナに対する脆弱性が原因なのがわかっているのに、そこは改善されず、一般市民や飲食店などに多大な経済的損失を与えるような状況をいつまでも続けていることです。