【NewSchool受講生作品】レジリエンス(三上凌史)

2021/6/18
「学ぶ、創る、稼ぐ」をコンセプトとする「NewsPicks NewSchool」。
映画監督の大友啓史氏と編集者の佐渡島庸平氏がプロジェクトリーダーを務めた「ビジネスストーリーメイキング」では、半年間を通して22名の受講生が「ビジネスストーリー創り」に取り組んだ。
今回は、受講生である三上凌史さんの作品「レジリエンス」の一部を掲載する。

講師からの講評

・大友啓史監督のコメント
今作は、生き残りをかけた金融業界を舞台に、次世代に渡る新たな貸し付けシステム構築に奔走するコンサルティングファームの人々の苦闘を描く物語だ。
個人情報をベースにした信用スコアに、ゲノム(遺伝子)情報を加えることを是とする西山と、否定的な主人公の幸田。同じプロジェクトに呉越同舟したメンバーが、それぞれの価値観を基に対立と葛藤を繰り広げる。
既に疲弊した状態でプロジェクトに巻き込まれ、自らの知られざる真実を発見していく幸田の姿には、個人の信用データ化が進んだ未来に何が待ち受けるのか、我々は何を大切にすべきか、という筆者の切実な問いが重なり合う。
豊富で新鮮なビジネス情報とリアリティを武器に、新たな分野開拓に挑む意欲作だ。圧倒的な筆力ゆえに、人物の感情描写をさらに深める研鑽を期待したい。
・佐渡島庸平さんのコメント
著者もコンサルティングファームで働いていることもあり、ビジネス情報や知識の質が非常に高い。同時に、「まるで手ごたえのないプレゼンテーションだった」という冒頭から、小説家が描く文章が書けている。
三田駅のホームで電車を待つところなど細かな描写も素晴らしく、極限状態の幸田は、いつ破裂するのかハラハラする風船を膨らましているようで、リアリティと緊張感がある。
この解像度でビジネスを描ける作家は多くいない。今後は、経営者の苦悩を表現するような物語も描けるのではないかと、期待している。

「レジリエンス」(あらすじ)

人は自らの価値を数値化され、世間にその値をさらされた時、人としての尊厳を保てるのか。
外資系コンサルティング・ファームに勤務する幸田仁は、マネージャー昇進後、初のプロジェクトリーダーとして推進する案件において、過剰労働や部下のハラスメントに苦しめられていた。
死線を乗り越え、幸田が次に手掛けた案件は、銀行のリテール事業立て直しだった。起死回生の一手を探るクライアントに対し、幸田は信用スコアの導入とビジネス・エコシステムの構築を提案する。
「誰もがお金に困らず、健康で長生きして、末永く暮らすこと」というスローガンを掲げて企画したサービス「センテナリアン」は、ゲノム情報を信用スコアの計算に取り入れたことで、その先の展開を大きく変えることになる。

プロローグ

まるで手ごたえのないプレゼンテーションだった。
幸田仁は会議室の外に出ると、小さなため息とともに肩を落とした。視線はうつむき、どこを見るともなく、焦点が定まらない。提案の同席者と一緒に、行員に誘導されるがまま、もと来た廊下をたどった。
エレベーターホールに着き、上司の前澤明が世間話をしている間も、幸田は点灯するエレベーターの階数表示を眺め、ぼんやりとしていた。緊張が解けたせいで、連日の寝不足による疲労が堰を切ったように押し寄せる。パソコンや大量の資料が詰め込まれたカバンが不意に重たく感じた。立っているのがやっとだった。
エレベーターが到着してドアが開くと、紋切り型のあいさつを交わし、中に乗り込んだ。
「本日はご提案、ありがとうございました。結果は追って、ご連絡いたします」
「いえいえ、こちらこそ提案の機会をいただき、ありがとうございました。朗報をお待ちしております」
幸田たちは頭を深々と下げ、ドアが閉まるのを待つ。エレベーターが動き始めると、お互い言葉を交わすともなく、重苦しい沈黙が広がった。気まずさを紛らわせるのに適量な駆動音だけが、鈍く、長く、ルーム内に響いていた。
エレベーターを降りて、セキュリティ・ゲートを抜けると、三善銀行丸の内本店のロビーは人の往来で賑やかだった。時刻は正午。ランチタイムもそろそろピークに差し掛かる頃だ。
幸田を含む、外資系コンサルティング・ファーム『The Best and the Brightest』、略してB&Bの四名は、行き交う人の波を避けつつ、ロビー中央のベンチ付近まで歩み寄った。
「なんで銀行の会議室って、あんなに陰気臭いんですかね」
部下のシニアコンサルタント、楠木正美が悪態をつく。
「分からん。クライアントも終始無表情だから、すごくやりづらかった」と幸田が返す。
「それは、お前のプレゼンが堅苦しいからじゃないか? 始まる前のアイスブレイクもなかったし。あんな真面目な話ばかりでは、ウケるものもウケないって」
ファームの共同経営者である、前澤パートナーが不機嫌そうに言った。
「はい、すみません……」
幸田は反射的に謝り、目を伏せた。間に立っていたアソシエイトの曽根崎努は、そわそわと落ち着かない様子で前澤と幸田を交互に見ている。
「年末年始の休みを返上して作った、会心の提案だったんですけどね。働き損だなあ、これは」
楠木は、あさっての方を向き、わざとらしく言った。幸田は下を向いて黙ったままだ。
楠木が嫌味を言いたくなる気持ちも分かる。コンペに負けて、案件をロストした時の徒労感といったら半端ない。費やした時間と労力のほとんどが無駄になる。提案依頼書を受けてコンペを行う場合、作成する提案書は最低でも数十枚、多い場合は数百枚にも及ぶ。
B&Bは提案専門の組織を持たず、現場でプロジェクトを推進しているメンバーをかき集めて提案を行うため、必然的に平日の業務後や土日祝日といったプライベートの時間を使うことになる。勝てば実績と言う形で報われるが、負ければ何も残らない。
勝負の決着がつくケースはまだいい。クライアントの中には、単なる情報収集のためだけに依頼書を出す社員もいる。各社から提示された資料や情報をかすめとり、依頼自体は「やっぱりなかったことにしてくれ」と取り下げて、自前で案件を進めてしまう。文句の一つでも言いたくなるが、お得意様であれば泣き寝入りするしかない。
「とにかく、幸田と楠木は提案後のフォローを頼む。問い合わせの対応はもちろんだが、競合の提案内容をうまく聞きだすこと。もし、見積やスコープ、期間の調整で案件が獲れそうなら、俺にすぐ相談してくれ」
前澤はそう言い残すと、本社に戻るため、ロビーを出てタクシーに乗り込んだ。
「前澤さんから、お疲れさまのひと言もなかったっすね」
楠木がタクシーの後姿を見ながら言う。
「この案件にかなり期待していたからな。俺らに配慮する余裕がなかったんだろう」
幸田はそう言って、楠木の視線の先を追う。ものの数秒でタクシーは視界から消えた。
「幸田さん、この後どうします?」
「そうだな……。午後はミーティングも特に入っていないし、慰労会もかねて、何かうまいもんでも食べるか」
「ですよね。やってらんないんで、ビルの高層からいい景色を眺めて、美味しいフレンチでも食べましょうよ」
楠木は肩のストレッチをしながら、首を振って骨をコキッと鳴らした。
「えっ、僕も行きたいです。幸田さん、いいですよね?」
自分だけ置いていかれるとでも思ったのか、曽根崎が慌てた。
「もちろん。連れて行かない理由がないだろ」
「良かった。ありがとうございます!」
急にテンションの上がった二人を見て、やはりグルメは万人共通のストレス解消法だ、と幸田は思った。さあ、お店に向かうぞと歩き始めた矢先、楠木がはたと立ち止まり、幸田の顔を覗き込んだ。
「あっ、ちなみにこれって、幸田さんのおごりですよね」
そこを確認しにきたか、と幸田は内心あきれた。自分からうまいもんでも食べようと誘っておいて後輩に自腹を切らせたら、先輩の沽券にかかわるじゃないか。
「当たり前だ」
幸田は語気を強めて言った。
「さすがです」と楠木がにやりと笑う。うんうん、と隣でうなずく曽根崎。
ロビーの外に出ると、身を切るような風がビルの合間を吹き抜けた。三人はそれを物ともせず、足取り軽やかにオフィス街を抜けていった。
三善銀行経営企画部、DX推進課の斎藤課長から提案採用の連絡が前澤に入ったのは、一週間後のことだった。前澤から電話で聞いた話によると、コンペに参加したのは五社だったが、B&Bの提案内容は他社と比べて抜きん出ていたとのこと。
先方の部長および関係役員への決裁も済んでいるので、可及的速やかにプロジェクトのキックオフ・ミーティングを行って欲しいという依頼が来ていた。
「いやあ、俺は取れると思ってたよ」
前澤はたいそう上機嫌だった。
「本当ですか? 私はてっきりダメだと思っていました」
「お前のプレゼンはイマイチだったけど、提案資料は俺がレビューしたからな」
そこか、言いたかったのは。前澤のしたり顔が目に浮かんだ。
「はい、前澤さんに事前レビューをしてもらったので、提案がクライアントの心に刺さったんだと思います。ありがとうございます」
「お前、本当にそう思ってるのか」
「もちろんです。あの発想は私と楠木にはありませんでした。さすがです、前澤さん」
「ならいいけど」
歯の浮くようなセリフだったが、前澤はまんざらでもなさそうだ。お決まりのやりとりに、幸田の受け答えもすっかり板についている。
「ところで前澤さん、メンバーは楠木と曽根崎、後はテクノロジー担当の西山シニアマネージャーまで確定でいいんでしたっけ」
メンバーのアサイン状況を念のため確認した。
「体制図上は、もう一人シニアコンサルタントをアサインすることになっていたな。西山は神原を引っ張ってくると言ってた。そこも確定でいい」
「分かりました。では、こちらのメンバーは決まりましたね」
「先方も役員以下、名前が出揃っているだろうから、所属部署や役職も含めて確認してくれ」
「了解です。この後、体制図を先方に送って、その辺りの情報を埋めてもらいますね」
幸田は前澤にそう伝えると、電話を切ってキックオフ資料の作成に着手した。
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