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記事を読んでいたら見知った名前が...佐藤学先生は私の学部・修士の指導教官です。先生が普段から考えられていることは、ICTは「思考・表現・探求・協同」のツールとして使っていくべきであって、教授のツールとしてだけ使うとダメだという話です。なので、佐藤先生自体はどちらかというとICTツールを使うことは否定していません。前半部分だけ見るとかなり受け取り方は異なってくると思います。(このあたりは最新の著書『第四次産業革命と教育の未来 ポストコロナ時代のICT教育』2021 岩波ブックレット をご覧いただくとよさそうです。)

ここからは僕の私見です。ICTを使った授業や教育の形がブームではなく文化として残っていくためには、質的な調査によって学校文化の中に丁寧に位置づけていくしか方法はないと思います。当然試行錯誤の段階なので失敗することもあるでしょう。ですが、科学は失敗の連続で前に進むわけで、教育学も同様です。
ICT教育で足りていないのは、目の前の子どもの学びの質がどのように変化したのか、という軸での研究です。学びの質とは1つのデータだけで出てくるような単純なものではありません。1つ1つの事例を積み重ねていくことでした質は測れないため、解明には時間がかかります。
では、その間教育はこれまで通りやっていってよいのか、というとそんなことはありません。まさにアジャイルなスタイルでやっていくしかないと思っています。各学校・各家庭でそれぞれの使い方を模索しつつ、それを共有する。学校教育はサービスではないので、ともに協力しあう体制が必要だと思います。

ちなみに、「コンピューターに向かう時間が増えることが、子どもたちから深く思考する機会を奪う」というのは疑問です。子どもたちが深く思考していない(と思われる)のはコンテンツの消費者としてコンピュータと向き合っているときのことでしょう。それに対して、デジタルを駆使して創造的に活用している子どもたちは、大人の想像を大きく越えた深い思考をしていますし、大きな学びを得ています。コンテンツの消費者ではなく、デジタルの創造者になれれば、むしろ学びは大きく広がり子どもにとっていい影響しかないと考えます。
このコンピュータの話もそうですが,一定の年齢まで制限をかけておいて,ある時から急に逆の価値観を求める,というのが結構多い気がしています.
今やコンピュータなんてほぼ全ての大人は仕事で利用するわけで,小さい頃にその使用を禁止していたら,どこかで一気にシフトしなければならないわけです.
女性の婚活とかも似た側面がある気がしていて,家庭によってはある年齢くらいまでは異性との交際に消極的な親が,適齢期になった瞬間に手のひらを返したように結婚を求めたりとか.
あるいは就活なんかでは,それまで画一的に先生の言うことを聞くのが良いとされてきた環境から,急に個性や周囲から抜きん出たアピール力なんかを求められるようになったりして.(その後会社に入るとまた没個性に戻ったり)

閑話休題.
将来的に必要とされるスキルなら,小さい頃から徐々に慣れていくというのが良い気がしてしまいます.

あと,この筆者の子供のように,それまでのマス教育が上手くフィットしている子どもにとっては,ICT導入による差がないかもしれませんが,マス教育でサポートしきれない子どもにとっては,課題の難易度が理解力に応じて変化するようデザインできるデジタルツールは,非常に相性が良いのではないかと思います.
デジタル教育にはエビデンスがありませんか。結構。お宅のお子さんはエビデンスが明確になるまでデジタルを禁止しなさい。あなたも含め全員がデジタルで思考、生活、生産するようになっても、教育にデジタルを使うにはエビデンスが必要ならば、あなたのお子さんには禁止しなさい。
それはよい。が、それこそOECDもEUも日本の文科省も総務省もさまざまな実験をし、エビデンスをあげ、長期にわたる専門家集団の審議を経て、だから巨額の資金を投じデジタル教育を進めていることを調べもせず、一人の意見をもとに、ぼんやりした反対を無責任に唱えるのはやめてもらいたい。
こういう、はっきりしない不安感からの反対論で日本の教育デジタル化は途上国レベル以下に沈んできた。その責任は、こういうぼんやりした反対意見を唱える、影響力のある研究者やメディアにある。その責任を問いたい。



名誉のために言えば、朝日には教育デジタル化をずっと調べ、追ってきた信頼に足る記者さんたちがいます。そのかたがたなら、エビデンスがあるかどうかも知らずに(教育デジタル界隈ではお聞きしたことがない)一人の人の話で記事を構成するようなまねはしますまい。朝日さん、この記事、いいの?
ちなみに、スタンフォード大学のビジネススクールは授業中のPC使用禁止でした。様々な研究結果で分かっている事なのですが、学習効果を低下させるのです。

PCが目の前にあるだけで授業に集中できなくなるのです。

学習理論的にも、ノートはPCではなく手書きが推奨されています。PCでノートテイキングは学習効果を低下させる研究もあります。

パム・A・ミュラーとダニエル・M・オッペンハイマーの調査によると、PCでノートを記録する人が手書きでノートをとった学生より概念理解に関する問題の正答率が低かったのです。

教師の言葉ばかり記録して自分の言葉に要約せずにPCを利用している学生は学習に弊害をもたらすのです。

いずれにしろ、何を導入するのでも万能薬はないので、しっかりと目的意識を見失わずに、目的に合わせて活用方法を明確にするべきです。
コンピューターは人間の脳を補完するのが目的なので、知能が下がることは明白。もちろんコンピューターを作る、プログラムする側になることは将来的な就業につながるだろうが、まず身体能力の低下と視野狭窄によって、記憶力や読解力、空間把握能力、コミュニケーション力が下がる。
そもそもの義務教育の意味を問い直す必要があり、
言われたことを実直に聞くための義務教育から、自ら学び考える義務教育にするのであれば、コンピューターを使わない授業をあえて別枠で増やす必要があり、体育や道徳、アート、レクリエーションを通じて他者と関わる時間がより大切になる。
一人一台はこれからの時代国家戦略として必要なことなのでやれば良いが、そこで失う能力を想定して補完する場の提供が必要。
公立小学校でも生徒一人ひとりに端末が配られましたが、運用はというと学校と家庭の連絡ツールあたりが現在地ですね。ICT教育の環境は数年前までOECD内で低位に甘んじていました(URL参照)が、ようやくハードが整いました。ICT教育は学校側の指導者不足や、学校教科書などカリキュラムとの連携、民間コンテンツの利活用などこれからといったところ。
https://www.oecd.org/coronavirus/policy-responses/learning-remotely-when-schools-close-how-well-are-students-and-schools-prepared-insights-from-pisa-3bfda1f7/
端末でできることと紙でできること、それぞれに長所がありますが、端末でできることで言えばSTEM教育は相性がいいです。立体を展開したり、切ったり、重力の実験やプログラミングなど、理解を促進する点で優位性がある教科は多くあります。現代の生活に使われている技術を理解し、活用できるような教育を端末で、Artはリアルで、文学は書籍で学ぶというのが個人的にはお勧めです。
DX化で社員の能力が上がらない、って言ってるのと同じ