社会問題の構築主義2.0へ――『社会問題とは何か なぜ、どのように生じ、なくなるのか?』(筑摩書房) - 赤川学(訳者) - SYNODOS
コメント
注目のコメント
貧困問題などの自己責任論が生まれる原因もここにあるのでは、と思います。
社会問題の構築主義は、社会構築主義のように、「現象Xの社会構築性」という認識の側に立って、言説が発せられる文脈や効果を考えることで、その現象に対して受け入れ、何かアクションをとることにつながるのかもしれないと思いました。捉え方としてのまなびです。
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本文引用
社会問題をいかに研究したらよいのだろうか。ここで、社会問題を、「なんらかの想定された状態について苦情を述べ、クレイムを申し立てる個人やグループの活動」と定義する考え方が生まれてくる。社会問題とは、客観的に有害な状態というよりは、「社会の状態に対する関心を喚起する努力」であり、その努力の結果、社会問題が構築される。このように考えるのが、社会問題の構築主義社会構築主義は見直されるタイミングに差し掛かっているように思えますね。
マルクス・ガブリエルの新実在論は物理学の実証主義を半ば否定する相対主義だと思いますし、上野千鶴子のジェンダー論、その他さまざまな分断後に起こっている(又は分断のきっかけとなっている)概念のサーチライトは唯名論と解釈で言ったもの勝ちの様相を呈していますし。
方やネットワーク・グラフ理論などの関係性に注目したサイエンス側からのアプローチは、システム境界と意味論で止まってしまっているように映ります。
こうなると龍樹(ナーガールジュナ)に登場して貰って、縁起と空を体感するまで瞑想しなさいという諦観に到達(逃げ込む)のもさもありなんな状態で、ゼロからイチを生み出すとか言い出してしまった日本人も本来、零と空に違いを感覚的には理解しているものの、頭でっかちになり過ぎてしまっているような。
とこんなコメントしている時点で頭しか使ってませんね。ただ言えることはプラグマティックな社会構築主義という西欧の論理を悪用されると、今や人間や社会に留まらず純粋な贈与を行っている自然や環境までもがマニピュレートされる恐れが有りますよね。慎太郎の3.11後の発言は「罰」という表現を取りましたが、自然からのメッセージを聞く余裕と姿勢を持たないと、社会的なアクティビストとして間違った方向に行ってしまって後戻り出来なくなるでしょう。
縁起を英語で説明出来るかな。空は零では無いも。だから何と日本人から言われそうですがw