「解決不可能な現実」ではなく「オルタナティヴな未来」のための“想像力”を:アーティスト・長谷川愛との対話

いま「未来を想像する」とは、どういうことなのか? 「スペキュラティヴデザイン」を提唱したアンソニー・ダンとフィオナ・レイビーに師事し、昨年出版した『20XX年の革命家になるには』が話題となったアーティストの長谷川愛は、解決不可能な現実の問題ではなくオルタナティヴな世界のあり様を描くための「想像力」の重要性を説く。開催中の大規模個展での新作の制作背景を皮切りに、今日の社会におけるアートやフィクションの役割を存分に語ってくれた。
「解決不可能な現実」ではなく「オルタナティヴな未来」のための“想像力”を:アーティスト・長谷川愛との対話
「極限環境ラボホテル、石炭紀ルーム」。PHOTOGRAPH BY AI HASEGAWA

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「ブラックスワン」ではなく「グレーリノ」に注意せよ

──TERRADA ART COMPLEX Ⅱにて、個展「4th Annunciation」を開催中です。これまで発表されてきた作品に加え、新作も展示されているとのことですね。

新作がいくつかあり、そのひとつが「富士山噴火茶席」というプロジェクトです。新型コロナウイルスのパンデミックは過去のデータからは予測できない「ブラックスワン」だと言われていましたが、リスクは以前から言われていた話であってブラックスワンではありません。

今回のパンデミックは何だったのかと考えてみると、「グレーリノ」(灰色のサイ)なんですよね。これは発生する確率が高くてインパクトも大きいけれど、わたしたちがもっている何かしらのバイアスのせいで無視してきたリスクで一度動くと止まらないサイに見立てて名付けられたに現象のことです。

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東京でほかにもグレーリノがあるかと考えたときに出てきたのが、富士山の噴火でした。富士山噴火は内閣府も懸念していて、2021年の3月末には富士山火山防災マップの改訂版が出たりもしています。

こうした火山の噴火や地震に対する不安を抱えているはずなのに、わたしたちがすごく普通に日常を生きているのが面白いなと思っていて、これはいったい何なんだろうかをもう一回考えてみたいなと思ったのが「富士山噴火茶席」の始まりでした。

──富士山の噴火はグレーリノの例だということですが、なぜそれが茶室に繋がったのでしょう?

100年に1度レヴェルの台風が頻発していることを考えると、これからは災害と災害の掛け算が増えるんじゃないかとわたしは思っています。そんなディストピアのなかでも前向きに楽しく生きたいと思ったとき、たどり着いたのが茶室でした。

実は京都の自宅のそばに鴨長明の「方丈の庵」があるんです。この庵は組立移動式になっていて、鴨長明は歌を詠んだり楽器を弾いたりしながら災害や飢餓の多かった時代を移動していたそうです。そうやって移動しながら災害下でもアートと共にあるって理想だと思っているのですが、さらにそれをグループ単位でできたら面白いんじゃないかなと思いました。大人数が移動しながら暮らす「ノマディック・テクノ・ヒッピー」をキーワードにした団体/トライブが未来に出現しないかと思って、今回の作品をつくっています。

──面白いですね。グレーリノの例は富士山の噴火以外にもあるのでしょうか?

実はブラックスワンなんてそうそうなくて、ほとんどの現象がグレーリノじゃないかと思うんです。わたしたちはバイアスをもっているがゆえに起こりうるリスクを軽視しているのかもしれないし、あまりにもそのリスクが大きすぎるゆえにいつ起きてもおかしくないのならば、そのときに対処することが経済的に最も合理的だと考えているのかもしれません。

それこそパンデミックなんてSFの物語には幾度となく登場しますが、実際に起きるまで対策はあまりされていませんでしたよね。本当は普段から手洗いとマスクを強く推奨していたらよかったのに、起きてから頑張ろうという考え方になっているのではないでしょうか。

──そうしたグレーリノを明らかにしたり発見したりするのも、研究者やSF作家、アーティストの重要な役割のひとつかもしれないですよね。

本当にそうだと思いますね。以前この茶室で、火山の噴火と防災について研究されている防災科学技術研究所の藤田英輔先生のお話を伺いながらお茶会をしたんです。実際に富士山が噴火したら東京にも火山灰が5~15cmは積層して、ライフラインや物流が停止する恐れがあるというお話や、5〜6時間前なら富士山の噴火は予告することは可能かもしれないというお話しがあって、今回はその噴火のリスクを茶道具に落とし込んで、避難をやその後の暮らしを話し合うという茶会を茶人・松村宗亮さんとともにおこないました。

「富士山噴火茶席」のほかに、「技術死生学 供養絵額2.0 ワークショップ」や「技術死生学 思索能試作」などの新作が展示されている。PHOTOGRAPH BY AI HASEGAWA

未来を思索する起点となる「痛み」

──「富士山噴火茶席」や代表作である「Shared Baby」もそうですが、長谷川愛さんは作品をつくるだけにとどまらず、有識者の皆さんとその実装方法や倫理のあり方について議論する部分まで作品を展開しているのが印象的です。このようなアプローチをとるのはなぜでしょうか?

わたしの場合は自分の悩みや痛みから作品制作を始めることが多くて、最後には現実を変えたくなって妄想を始めるんですよね。ではそれが本当に妄想で終わるものなのか?というところを確認・検証する作業として、有識者の人たちに話を聞きに行くことが多いです。

さらに、それが意外に実現可能だと判明したときには、次に社会の受け入れや展開について考えます。法学者やビジネス関係の方々と話したりして、どうやって実装するかを考えるんです。どれも頭の違う部分を使うので面白いですね。

──いま「自分の悩みや痛みから作品制作を始める」とおっしゃいましたが、自分に内在する課題や悩みに気づくことが難しいこともありますよね。『WIRED』日本版でも「WIRED Sci-Fiプロトタイピング研究所」として企業と一緒にSF的発想で未来を想像し、バックキャスティングのアプローチで実装につなげていくプロジェクトをしています。ある案件では長谷川さんにもご協力いただいていますが、ご自身の課題意識に気づくことに苦労されている参加者も多いです。その人なりの課題意識や違和感を引き出し、未来を思索するコツのようなものはありますか?

人それぞれ得意な始め方があるような気がします。例えば、わたしは基本的に自分のことしか考えられないので自分起点でプロジェクトを始めるのですが、自分の痛みから始めることのよさは「粘り強さ」だと思っています。簡単にそれを手放せない、あきらめられないという粘りがあるので、ある意味エリートではない凡人でもいいプロジェクトになるんですよね。

逆に頭のいい人たちは、いま最も重要視されている問題をリサーチしてから入るというのがやりやすい方法なのかなと思ったりしました。アートは基本的に自分が気になるテーマを選んだりするんですけれど、それがわからない人、あるいは社会との繋げ方がわからない人のために、わたしの本や授業では「SGDsカード」というものを用意しました。いま解決すべきと思われている社会問題をうまく整理したものがSDGsの目標だと思いますが、授業などではそこから自分の興味のありそうなものを選んでくださいね、と言ったりしています。

あとは、いろいろな境遇の人と話しをすること。他人の苦しみや悩みを直接聞くとニュースよりもリアルな問題として深く考えることにつながります。

──いま「粘り強さ」という話がありましたが、自分の痛みではないものを起点とする作品や思索は、その人のなかになかなか残りにくいのではないかとも思うんです。ワークショプの現場では、その場ではアイデアが盛り上がるものの、終わったあとに何も残らなかったという話をよく聞きます。

ワークショップや授業の場で自分の望む未来をきちんと描けた人は、そこにたどり着けるように他者や社会に対して無意識に働きかけていくんじゃないかと思うんです。それは自分の悩みが直接は表に出ていなくても、そういう痛みをどこかにもっているからです。Sci-Fiプロトタイピング研究所でも、そういうヴィジョンを描くお手伝いができたらいいなと、わたしは考えています。

SFはディストピア的なイメージで書かれた作品ほどわかりやすくて賞をとりやすいのですが、いまのわたしたちが見たいのは、数あるディストピアのなかでどうやったらポジティヴな生き方をできるか、というところだと思うんです。

先ほど「富士山噴火茶席」でお話したノマディック・テクノ・ヒッピーも、避けられそうにないディストピアな未来でもこういう生き方ならば楽しいかもしれない、という希望のあるライフスタイルを考えることになります。

そうすると、そこに行き着くためにはどうしたらいいのかを、無意識に考えるようになるんでしょうね。それには数年かかるかもしれませんが、ひとまずSci-Fiプロトタイピング研究所のワークショップなどで考え方のきっかけや方法論を一度インストールしておいて、何かに目覚めるようなライフイヴェントにぶち当たったときに最短距離で目指すところにたどり着く手助けができたらいいのではないかと思っています。

それは誰にとってのユートピアか?

──いまの話にありましたが、「ユートピア」「ディストピア」の区別も難しいですよね。Sci-Fiプロトタイピング研究所のプロジェクトにおいて物語の形式でアイデアをプロトタイプすると、世界観を描き、キャラクターを動かし、未来の社会においてそのアイデアが機能するか検証できるところがいい点だと思っているんです。アイデアの段階ではユートピアだと思っていたものの、物語にすると多くの人を不幸にしてしまう「ディストピア」になってしまうことがあったりします。「自分が望む未来」のアイデアを多角的に検証し、他者の視点を複数獲得していくためにも、物語にすることは有効な手段なのかなと感じています。

そういう意味では、価値観の変化がメタ認知としてわかるのも物語のよさなのだと感じます。かつて描かれていたユートピアが、いま見ると恐ろしいディストピアだったということもありますし。宗教における魔女狩りがその典型ですよね。あるいは、いまディストピアとして見えているお話も、実はもしかしたらユートピアたりうるのかもしれません。人類が滅びたら人間にとってはディストピアだけれど、ほかの生物にとってはうれしいことだったり(笑)

これは極端な例ですが、ユートピアやディストピアは黒か白かの問題ではなく、グラデーションのようにその間に段階があるのだと思います。そこのグラデーションをどう描いていくのかが重要ですよね。

──いま立場や時代によってユートピア、ディストピアは変わるという話がありましたが、物語を使って人々を自分の都合のいい未来へ誘導することも考えられますよね。SF作家の津久井五月さんが、企業がSF作家の想像力を使って自社にとって都合のいい未来を描き、それを社会に広げていくことで「未来が買収されてしまうのではないか」とおっしゃっていたんです。未来を描く際に、誰のための未来なのか?を考えることは重要な気がしているんです。

企業とワークショップをするわたしたちが気をつけなければならない、とても重要なポイントですね。「あなたの会社にとって不都合な倫理観が主流になるかもしれませんよ」といったさまざまな種類のシナリオを描いて、それに対して多様な視点や倫理感をもつ人と布石を打っていくという考え方のほうが、アーティストや作家の想像力を活かせるのではないか、そこで企業さんとの合意できるポイントを探し出していく。それは多くの人にとってうれしい未来へとつながるとわたしは思ったりします。

企業はアーティストや作家を自分たちにとって都合のいい未来を想像するために使うのではなく、自分たちにとって都合の悪い未来を考えるために使ってほしいんですよね。「いったい何が自分たちを殺すのか」をアーティストや作家に考えさせるということです。例えば、フィルム会社はデジタルカメラの出現によって衰退しましたが、同じ技術を使って化粧品をつくればいいとか、殺される前に自分でデジタルカメラ事業に乗り出そうといった発想ができると強いですよね。

オルタナティヴな世界を描くための「想像力」

──企業にとってのディストピアや都合の悪いものを描く余地があるのは、スペキュラティヴデザインやSci-Fiプロトタイピングのいい点かもしれませんね。いまの話にも少しつながるのですが、長谷川さんは著書のなかで「スペキュラティヴデザインは方法論ではなく態度である」ということを繰り返しおっしゃっています。その背景にはどんな想いがあるのでしょうか?

「アートとは問いであり、デザインは問題解決方法である」ということがよく言われます。でも実際のところ問題提起をしていないアートだって、問題解決をしていないデザインだって山ほどあるなと思っていて(笑)。じゃあ何なのかというと、作品は「自分は何をしたいのか」という態度表明なのだと思うんです。自分にとって都合のいいように社会を変えたいという自身の欲望を、公共性とすり合わせるために提案する「問いかけ」になっているんですよね。こういう未来はどうでしょうか、と。

──そうした問いかけのあと、それが公共性とすり合わさって実装するとなったとき、アーティストはそのフェーズにもかかわっていくべきだと思いますか?

スペキュラティヴデザインを提唱したアンソニー・ダン(トニー)とフィオナ・レイビーらは最近、美大生の想像力や才能を「解決不可能な現実の問題」に相対するために使っていいのか逡巡しているんです。

トニーとフィオナが15年前から種まきをした結果、スペキュラティヴデザインの考え方はいろいろな方面に浸透して、現実の問題との接続はそういうことが得意な人たちがやり始めているから、アーティストたちはもっと別の世界のありよう想像するために自らの能力を使うべきだという話だと解釈しています。オルタナティヴな世界をイメージすることはとても重要で、そのヴィジョンが世界を変えていく種になるからだと思います。

──アーティストこそ、まだ想像されていない未来を描くことが求められているのは、現実のテクノロジーがもたらす影響がもう想像され尽くしたということかもしれませんね。「ブラックミラー」のような作品が世に出てくることで問題の所在がわかりやすくなり、実装側がそれをリファレンスしやすくなったのかもしれない。長谷川さんの書籍でも、「Ethical OSツールキット」というエンジニアがテクノロジーに関する倫理を学ぶためのツールが紹介されていましたよね。アーティストや作家によって想像された「ディストピア」を防ぐための動きは、進んでいるようにも感じます。

わたしも最近はテクノロジーよりも人文系文献のリサーチばかりしています。もうひとつ、テクノロジーは技術の開発のされ方や展開のされ方によって、実際には社会に出てくる余地のあったものが出てこなくなることもあると思っています。

例えば、わたしは「(Im)possible Baby」という作品で同性間で子どもを生む技術を描いたのですが、そうした技術が出始めたときに研究を継続するかしないかの意思決定に当事者があまりかかわれていないことを知ったんです。

──技術のロードマップがあったとして、その技術に対してどれくらいの予算を投下するとこの時期に実現できます、という話があったとき、科学者だけでその可否を決めるのではなく、その技術によって解決される課題の当事者やアーティスト、倫理学者などが一緒に考えることでよりポジティヴな未来が掴みやすくなるかもしれないと思いました。

もうひとつアーティストの役割が変わっている原因として、昔は解決すべき問題がシンプルだったという点もあると思うんです。シンプルだったからデザイナーも取り組みやすかったのですが、いまの社会は複雑ですべてがかかわり合ってきているので、もはやデザイナーはどうしていいかわからなくなってしまうと思っています。昔であれば「より多くの魚を捕まえるための網を開発しました!」ということを言えたかもしれませんが、いまは漁獲量を増やすのはよくないと叫ばれたりしていますよね。

そういう状況では、リサーチすればするほどその研究資料に溺れてしまう。「富士山噴火茶室」の災害の掛け算でも、さまざまな種類の災害があるしあまりにも研究が多岐にわたるので、ひとつの頭ではもはや統合しきれないと思ったんですよね。

だからピンポイントに絞る作業が必要になりました。自分は大きな点描画の点ひとつしか描くことができないというある種のあきらめをもって筆を進めるしかないと考えたりもします。

テクノロジーの恩恵を最初に受けるのは、お金もちだけ?

──先ほどテクノロジーの影響が想像しつくされたという話もありましたが、「テクノロジーがもたらす未来」よりも、エコロジーの観点や災害というアクチュアルな事象を考えたほうが、未来というものを捉えやすくなるのではないかと感じているんです

それは、そもそもテクノロジーはお金もちからしか分配されないからではないかと思うんですよね。

例えば「2050年のヴィジョンを考えてください」という話をしたとき、その多くはお金もちでないと手に入らないような未来なんです。これから貧富の差が激しくなっていくと、ピラミッドの底辺にいる人たちにその技術が行きわたるのはいつなのだろう、あるいはそもそも行きわたるのだろうかということを考えると、しらけてしまうんですよね。

もうひとつ、やはり自分たちが動物であることを前提に考えないと、どうしても無理があるということもあります。自分たちが動物であることにいかに気づくかという研究や、動物として幸せになるための研究をしなければなりません。

わたしはテクノロジーがとても好きですし、宗教の代わりにテクノロジーを信じている人間ですが、とはいえテクノロジーがわたしたちを幸せにしてくれるとは思えないんですよね。なので、テクノロジーや研究の方向性やお金の分配をしっかり考えないと、本当にお金もちだけが幸せでほかの人が奴隷のように生活する世界になってしまいます。

──それに比べたら、災害や目の前にあるクリティカルな問題に関する未来を考えたほうが、広くあまねく人々のためになりますよね。

結局これも、最大多数の幸福を求めるのか否かという倫理の話になるんですよね。そういう意味では、マイナスをゼロにする技術、もしくはマイナス10やマイナス100をプラス5にする技術がとても必要とされている気がします。いまの技術はプラス5くらいの人たちをプラス20にするにはどうするか、という話ばかりですから。

──倫理の話に関連して、テクノロジーや未来に関するワークショップをしていると「倫理」の視点を入れ込むことが難しいなと感じることがあります。例えば「優生思想」のような話がどこからか無意識に出てくることがあるんです。

とても難しいですが、重要なポイントですよね。わたしも意外とやってしまいがちで日々が学びの途中です。例えばわたしは耳が聞こえないことを無意識に病気として見ていたのですが、ある当事者の方はそれを個性として見ていたんですよね。すごく反省しました。当事者の方には申し訳ないのですが、でもそうやって怒られたり、教えてもらって反省したり、本を読んで気づいたりといった方法をとるしかないと思っています。

アートや教育に必要なのは、そうした意識なのではないかなと思います。価値観というものがいくつもあって、わたしたちは新しい価値観をつくっていくこともできるし気づくこともできるよ、ということを伝えるんです。SFも、いまはダメだと思っているものが将来よしとされたり、よしとされていたものがダメになっていくような価値観の変化や多様性に気づける材料になるのではないかと思います。

長谷川愛|AI HASEGAWA
アーティスト。バイオアートやスペキュラティブ・デザイン、デザイン・フィクション等の手法によって、生物学的課題や科学技術の進歩をモチーフに、現代社会に潜む諸問題を掘り出す作品を発表している。IAMAS卒業後渡英。2012年英国Royal College of ArtにてMA修士取得。2014年から2016年秋までMIT Media Labにて研究員、MS修士取得。2017年~2020年3月まで東京大学特任研究員。2019年秋から早稲田大学非常勤講師。2020年から自治医科大学と京都工芸繊維大学にて特任研究員。上海当代芸術館、森美術館、イスラエルホロンデザインミュージアム、ミラノトリエンナーレ、アルスエレクトロニカなど国内外で多数展示。著書に『20XX年の革命家になるには──スペキュラティヴ・デザインの授業』(BNN新社)など。


⻑谷川 愛 展 「4th Annunciation」
会期:2021年4月23日(金)~5月6日(木)12:00~20:00 会期中無休 ※最終入場19:30
会場:TERRADA ART COMPLEX Ⅱ 4階(東京都品川区東品川1-32-8)
入場料:無料 ※日時指定予約制
予約方法:TOKYO CANAL LINKS公式サイトより日時指定予約


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2055年には人類は100億人を越えると予測され、わたしたちが地球に与える影響はとてつもない規模になる。だからこそ、あらゆる人が身にまとう衣服の生産や消費のあり方もアップデートされなければならない。『WIRED』日本版が主催する「CREATIVE HACK AWARD」で特別賞を受賞したスペキュラティヴ・ファッションデザイナーの川崎和也は新たにサーヴィスを立ち上げ、ファッション業界に横たわる「ファッション・パラドックス」の問題を解こうとしている。

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TEXT BY ASUKA KAWANABE

INTERVIEW BY KOTARO OKADA