水俣病65年「差別は無意識に起こる」 コロナ禍こそ生かすべき教訓

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慰霊碑に献花する上野真実子さん(中央)=熊本県水俣市で2021年5月1日午前11時9分、城島勇人撮影
慰霊碑に献花する上野真実子さん(中央)=熊本県水俣市で2021年5月1日午前11時9分、城島勇人撮影

 1956年の公式確認から1日で65年となった水俣病は、戦後の日本が高度経済成長へと歩む中で起きた、未曽有の環境破壊と健康被害だった。熊本県水俣市では、遺族や患者らが犠牲者を追悼し、教訓を語り継ぐ決意を新たにした。【西貴晴】

父の言葉「未来を生きる道しるべ」

 「父の言葉や生き方は、未来を生きる道しるべになる」。新型コロナウイルスの影響で中止となった犠牲者慰霊式で患者・遺族代表として「祈りの言葉」を読み上げる予定だった上野真実子さん(59)は、水俣湾埋め立て地にある「水俣病慰霊の碑」に献花し、父で患者の救済運動をリードした川本輝夫さんに思いをはせた。

 1999年に67歳で死去した川本さんは、原因企業チッソや行政との直談判で補償を求めた「自主交渉派」のリーダーだった。自身も患者認定される苦しみの中、一軒一軒訪ね歩き、差別を恐れ沈黙する患者を掘り起こした。1年9カ月に及ぶ交渉の末、73年にチッソとの補償協定を勝ち取り、多くの患者を救う手立てとなった。

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