- ポスト
- みんなのポストを見る
- シェア
- ブックマーク
- 保存
- メール
- リンク
- 印刷
米国でアジア系に対し繰り返される暴力事件。その差別や偏見の歴史は長いが白人ら米国社会の主流派は苦難の移民史をほとんど知らない。ニューヨーク日系人会副会長のスキ・テラダ・ポーツさん(86)は「歴史教育の見直しに正面から取り組んでこなかったという意味で、米社会全体が怠けてきたのではないか」と懸念を示し、差別とは何かを知った幼い頃の経験を語り始めた。
「敵国人」一家としての記憶
旧日本軍がハワイの真珠湾に攻撃を仕掛け、米国が対日開戦に踏み切ってからのことだ。ニューヨーク市マンハッタンにあるアパート。ポーツさんは、仕事に出かけた「父親」に母親がいつも奇妙な電話をしていたのを覚えている。
「子供を学校に連れて行きます」「買い物に出かけてもいいですか」。父親だと思い込んでいた電話の相手が本当はだれかを知ったのは戦争が終わったずっと後のこと。「米連邦捜査局(FBI)」だった。 ポーツさんはニューヨークで1934年12月に誕生した。父はハワイ生まれの日系2世、母は日本生まれの1世だ。1世の母は「敵国人」として監視対象になった。FBI捜査員は、夜中に窓のカーテンを閉めていないか、短波ラジオを持っていないか、近所に聞いて回った。
「私たちはジャップではありません」。同じアパートでいつも遊んでいた中国系の友達の家の玄関前にある日、こんな張り紙が…
この記事は有料記事です。
残り1551文字(全文2121文字)