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「通報はしない。捕まるなよ」薬物依存症の患者に精神科医が語りかける理由

薬物依存症の患者を診てきた埼玉県立精神医療センター副病院長の成瀬暢也さんは「通報はしない」と患者に約束し、「捕まるなよ」と声をかけます。 なぜなのでしょうか?

薬物問題を健康問題として捉え、治療や回復支援に舵を切る世界の潮流と逆を行き、大麻「使用罪」を新設する議論をしている日本。

薬物を使うのが止められない患者に、逮捕や刑罰はどう影響するのか。

薬物依存症治療に関わってきた専門医で埼玉県立精神医療センター副病院長の成瀬暢也さんに話を聞いた。

薬物があったから生き延びてこられた人も多い

ーーまず、薬物を使うことを犯罪と見るか、病気と見るかですが、犯罪と見ている人が大多数だと思います。芸能人が薬物で逮捕された時のバッシングの酷さを見ても痛感するのですが、先生が薬物を使うことを「病気」と捉える理由について教えてください。

僕自身も1995年に依存症病棟に配属されてから10年ぐらいは患者さんをちゃんと診ていなかったと思います。

なんとなく嫌な感情を抱き、一人一人がどんな思いでいるか、その背景についてあまり関心を持っていませんでした。通りいっぺんの診療をしていたのです。

それまで回復した人を見る機会がほとんどなかったからです。失敗した人ばかり戻ってきたり入院したりするわけで、治療の目標である回復した人を知らずに、その時正しいとされている診療の真似事をしていました。

しかし全国の患者家族の実態調査をした時に2000以上の回答を読みました。自由記入欄に思いを書ききれなくて、便箋に何枚も「この状況をどうにかしてください」という祈りのような訴えをたくさんもらったのです。

ちゃんと取り組まなくてはいけないと目が覚めて、患者さんの声にじっくり耳を傾けるようになりました。そんな態度で聞くと今まで話してくれなかったことを色々話してくれます。

「この人もか」「この人もか」と驚きを感じ、依存症の患者に共通する6つの問題がわかってきました。

  1. 自己評価が低く自分に自信をもてない
  2. 人を信じられない
  3. 本音を言えない
  4. 見捨てられる不安が強い
  5. 孤独でさみしい
  6. 自分を大切にできない


男女、年齢、使っている物質関係なく、みんな似たような問題を抱えていました。

みんなかなり悲惨な思いをして生きてきたのです。虐待、ネグレクト、いじめ、性被害、父親のアルコール問題、病気や障害など「よくここまで生きてきたね。よく頑張ってきたね、1人で」という思いになる人ばかりでした。

それがわかると、犯罪だからと責めていいのかと思いますし、薬物があったからこそ、ここまで生き延びてこられた人も少なくないのです。

「あなたは薬物がなかったらとっくに死んでいたかもしれないね」と声をかけたくなる人を次々と診ました。

犯罪として懲らしめて反省させる、刑務所に入れるということは、必死に生き延びてきたその人に追い討ちをかけて痛めつけることにしかならないと思います。

「通報はしない」「よく来たね」「また来てね」で人は変わる

ーーこれまでは薬物を使うに至ったそんな背景は顧みられてこなかったのですね。

特別なプログラムや専門的なカウンセリングでなくても、相手を責めずに耳を傾けていけば、だんだん自分のことを話してくれます。

うつ病の人が落ち込んだからといっても、「なぜ落ち込んでいるんだ!」と責めないですよね?

それと同じで薬を止めようと思っても止められないのは依存症の症状なのに、「なんで止めないのだ!」と責めるのはおかしい。症状が出ているだけなのですから。

「よく来たね」「また来てね」という付き合いを繰り返しているだけでも、人は変わっていきます。

自助グループに入らなくても、回復プログラムを受けなくても、結局は人とのつながりがあるかどうかが大事なんです。私はそのことをダルクから学びました。

結局、人から癒されれば薬物に頼る必要はありません。逆に人に癒されることがなかったから、これまで薬物を手放せなかったのです。

依存症患者の薬物使用は、「人に癒されず生きにくさを抱えた人の孤独な自己治療」と私は考えています。

薬物の代わりになるものも与えられずに、「薬物はけしからん」と取り上げるだけだったら、薬物があってやっと生きてきた命綱まで断ち切ろうとしているだけです。治療者がそれをやったら患者の敵にしかなりません。

ある時それに気付き、「なんだ簡単なことじゃないか」と悟りました。

それからは薬を止められない人がいても責める気にはなりません。それでも病院に来てくれているということに、「なんとかしたいと思っているんだね」と共感を抱きます。

外来では最初に「薬物を使っても通報しない」と伝えています。

やめられないから受診してくるのに、それを通報していたのでは治療になりません。通報されるのであれば誰も受診できなくなるでしょう。幸い、覚せい剤は通報が義務づけられていないので治療が成り立つのです。

そういう態度で接すると患者の表情は変わってきます。相手が正直になれる場所作りを心がけるだけで、患者は人と初めてつながっていける。人とつながっていければ、自然に少しずつ癒されて、力付けられていく。

難しいことを考えなくても、「よく来たね」「また来てね」という態度だけで違うのです。これは回復者から学んだことです。

ーー患者さんは、今まで自分の言うことに耳を傾けてもらえなかった人たちなのでしょうか?

そうですし、自分から自分の思いが言えない人たちです。幼少時から過酷な環境で育ってきて「助けを求めちゃいけない」と身に付けた人が多いし、信じていた大事な人に裏切られて傷ついた人も多い。

「もう人を信じてはいけない。信じたら傷つく」と思って、誰にも期待せずに1人で頑張ってきた人がすごく多い。

その頑張りが燃え尽きそうになると、ドーピングしながら生きてきたわけです。

人が生きるには「居場所」や「仲間」が必要

ーー先生の外来では、すぐに断薬を迫るということはしないそうですね。

薬物に求めてきたものを代わりに提供できないならば、「けしからん」だけで手放せるわけがないのです。

薬は「苦しいから止められない」安定剤なのです。それもだんだん効かなくなって、悪い症状ばかり出るようになっていても、それを手放したらもっとしんどくなる。

「それだけ必要なら使っていても仕方ないね。それが手放せるまで付き合うよ」というのが僕の外来です。

「ダメ。ゼッタイ。」じゃなくて、使っていようがいまいが、違法であろうがあるまいが、本人の困っていることを一緒に考えて支援する。決して責めない。

これがヨーロッパで行われている「ハームリダクション」という考え方に近いことは後から知りました。直ちに止められなくても、その人の健康上の問題を減らしていくことを第一に考える治療のアプローチです。

僕が学んだダルクも同じ信念で支援していることを知って、やはりそれが大事なのだと確信しています。

ーー「孤独な自己治療」という言葉は胸に響くのですが、なぜ依存症の人は対人関係のつらさを埋めるために違法薬物を使ってしまうのでしょう。

アルコールと相性がある人はアルコールに行くでしょうし、処方薬や市販薬が合う人はそちらに行くでしょう。ただ本当にしんどかった人は法の壁を破ってでも生き延びるためには手を伸ばす。それは仕方なかったのだろうと思います。

まずいと思ってもやめられないくらいしんどかったのだろうと受けとめます。

ーー薬物使用を責める人は「他にも発散する方法があるだろう。運動とか芸術ではダメなのか」などと言いそうです。

そういうもので発散できればそれに越したことはないですね。実際、薬物が止まってくると他のものに関心が広がるのはよくあることです。

でも薬物を使用している時は、「楽しむ」というレベルではなく、「それを使って生き延びる」というレベルなのですね。

本人は法的な責任を取らなければならなくなるかもしれませんが、治療者は、それが何であるかを気にする必要はないと思います。止められない患者さんには「捕まるなよ」と言って帰しています。

それでもやっぱり捕まってしまって刑務所から手紙が来ます。「出たらすぐおいで」というのが僕のメッセージです。刑務所に入るのを繰り返すと、ますます行くところがなくなってきます。薬物の仲間のところしかない。

「薬物依存症」で「精神科の患者」で「犯罪者」であるというスティグマ(負のレッテル)を背負って、「仕事もない」「生活保護の受給者」「仲間もいない」というスティグマも重なれば、どうやって生きていくのか。

やはり自分の存在を受け入れてくれるところがなければ、人は生きられないのです。

ーー違法な薬物を使う人は、最初はむしろ仲間とのつながりを守るために使ったりしていますね。

薬物は10代から使い始めている人が多く、家が安全な居場所ではなかった人が10代で家を飛び出したら、行き場所は非行グループのような場所や悪い大人の元しかなかったはずです。

使うきっかけは興味本位や大人への反発や色々ありますが、仲間に入るには一緒にやるしかない。

10代で判断がつかない時から、そういう道を選ばざるを得ない。家よりは居場所になると思ったけれども、そこでも信頼関係は築けない。結局、安心できる居場所がどこにもなくて苦しんできた人が多いです。

むしろ真面目で1人で頑張ってきた人が多い

ーー薬物依存症というと、意志が弱い、だらしない人と見られがちですが、むしろ、頑張りすぎるタイプの人が多いと指摘されていますね。

優等生タイプはすごく多くて、頑張るけれど途中で挫折するのです。居心地の悪い、安全ではない環境の中で認めてほしいと思って一生懸命頑張るのに、頭打ちになったり燃え尽きたりして、苦しくなって非行の道に走る。

その後、「やっぱりこれじゃいけない」と思い直して、一生懸命働いて人の顔色ばかりを見るピエロのようになるけれど、やっぱりうまく行かなくて今は引きこもり、とめぐる人がすごく多いです。

「薬物にハマっている人は怠け者でろくでなし」と思われがちですが、これまで生きてきた道のりを聞くと、必ずめちゃくちゃ頑張った時期があります。しかし、みんな悲しいくらい不器用なんです。

ものすごく頑張るのに、ついに頑張れなくなった時に人に助けを求められないからもうおしまいだと引きこもる。それで社会に出られなくなっている人が多いのです。

ーー助けを求められないのはなぜでしょうか。

幼い頃から助けを求められる環境ではなかったからでしょう。虐待されてきた人、性被害にあったがすごく多いです。「助けて」と言える人がいなくて、「人に頼っちゃいけない。1人で頑張るしかない」と思う人たちがこんなにも多いのかと驚きます。

刑務所に入れることは問題解決につながるか?

ーーそういう頑張ってきた人を、刑罰で懲らしめることは意味がないと先生はご著書でも書かれています。刑務所に入る期間を短くして、一部執行猶予する間に地域の中で回復支援するという「一部執行猶予制」も2016年にできましたが、刑罰の効果についてはどう見ていますか?

司法の場では、「違法薬物を使うことは犯罪」となるわけです。

しかし、僕らが診るのは苦しんでいて、支援が必要で、生きるのもしんどいという生身の人間の姿です。

実は私も患者をきちんと診ていなかった時は、「1回捕まって反省してくればいいんじゃないの」と思っていました。

でも本当の思いを聞かせてもらうと、「この人を懲らしめちゃダメだ」と思います。薬を使ってでもやっとの思いで生き延びてきた人を刑務所に入れてどう回復させるのか。

捕まることをきっかけに支援につながることもあるかもしれません。確かに刑務所で治療的なことも取り入れ始めているところもあります。

でもやはり刑務所は治療者にとっては「懲らしめ」のイメージです。支援より反省させて、懲らしめて、「もう2度とやらない」と思わせるのが主な役割です。

「2度とやらない」が守れないのが依存症の症状です。それを「我慢」と「反省」で止めさせるというのはそもそも無理がある。

2度とやらないために、ちゃんとした治療につながるという道筋が保証されているならばまだしも、反省だけさせてもどうにもなりません。

もう一つの懸念点は、刑務所に入ると社会と遮断されることです。

支援者がそもそも非常に少ない状況で、医療機関や相談機関も刑務所から帰ってきた人を快く思わないでしょう。刑事罰を科すことは、支援する側にも壁を作ります。

中には「もう刑務所に行きたくないからやらない」という人もいるのでしょう。

でも、依存症という病気を診ている立場からすると、逮捕や刑務所に入れることは依存症で苦しんでいる人を痛めつけるし、病人として見ていないとしか思えないのです。

反省や意志の力で依存症はどうにかなるのか?

ーー判決でも世間の薬物逮捕の報道でも「反省」や「意志を強く持つ」ことを求める内容が目立ちます。そうした精神論は薬を使わずにいることに役立ちますか?

本人も捕まった時は「我慢が足りなかった」と反省していると思います。しかし、「反省だけではどうにもならないですよ」というのが、受診してきた患者さんに最初に伝える言葉です。

「我慢じゃ止められないのを依存症と言います」と医療の立場から繰り返し言っているのに、世間はそれをなかなか理解しようとしません。

以前、驚く判決がありました。「被告は依存が重篤である。よって厳罰に処さなければいけない」という判決です。

「病気が重いから、厳しく懲らしめなければいけない」とは、何を言っているのだろうと思いました。

懲らしめても使用状況が良くならないのは、海外の薬物取締りの歴史が示しています。

それなのに、違法な薬物を使った犯罪者だということで排除する。とても日本的ですね。日本では異物を排除して、村八分にして見えない存在にするという方法を取ってきました。

でもそれは優しい社会ではない。

そういう人たちに必要なのは人とのつながりです。それを「つながりたいならまずちゃんとしろよ」と条件をつけるのが日本社会です。

刑事罰は、「ちゃんとしない奴は日本社会で受け入れないぞ」というメッセージにしかなりません。

「ちゃんとしない」のではなくて、依存症になったら、「ちゃんとできない」のだということがなぜわかってもらえないのかと思います。

ーー精神医療の領域の医師で、そういう考えで患者に接する人はいますか?

偏見とスティグマが最も強いのが精神科医かもしれません。薬物依存症の専門家は全国で20人もいない。日本精神神経学会などで啓発するシンポジウムを十数年続けていますが、なかなか広がりません。

薬物使用者に対し、「犯罪者だ」「言うことを聞かない」「怖い連中だ」というスティグマを治療者も持っているからだと思います。

「薬物依存症の患者は診ない」と断る医師も多いですし、アルコール依存症も患者数が多いのに受け入れ先が少ない。「自己責任だ」「言うことを聞かない患者だ」とレッテルを貼っているから、関わりが生まれません。

医療の場で拒絶されて傷ついた人は、支援を求めなくなります。結局1人で頑張るしかないと思って悪化していく。そういうことが全国のあちこちで起きているのではないかと思います。

(続く)

【成瀬暢也(なるせ・のぶや)】埼玉県立精神医療センター副病院長

1986年3月、順天堂大学医学部卒業。同大学精神神経科入局。90年4月、埼玉県立精神保健総合センター開設と同時に勤務し、97年4月、同センター依存症病棟に配属。2008年10月より現職。

専門分野は薬物依存症、アルコール依存症、中毒性精神病。

主な著書に『ハームリダクションアプローチ やめさせようとしない依存症治療の実践』(中外医学社)、『薬物依存症の回復支援ハンドブック』(金剛出版)、『誰にでもできる薬物依存症の診かた』(中外医学社)、『厄介で関わりたくない精神科患者とどうかかわるか』(中外医学社)


【薬物の問題に悩む当事者の自助グループ、回復支援施設】

日本ダルク(薬物の問題や依存症の回復支援施設)03-5369-2595 全国各地のダルクの連絡先はこちらから。

NA(ナルコティクス アノニマス 日本 薬物依存からの回復を目指す薬物依存者の集まり)Tel & Fax 03-3902-8869(新型コロナ感染拡大防止のため、当面は土曜日のみ 午後1時~5時)

【薬物の問題に悩む家族の自助グループ】

ナラノン ファミリー グループ ジャパン(薬物の問題を持つ人の家族や友人の自助グループ) 電話・ファクス 03-5951-3571(午前11時〜午後3時)

ファミリーズアノニマス(アルコール、薬物、ギャンブル、買い物、ネット、ゲーム、スマホ、摂食障害etc.ご家族や友人に依存症の問題を持つ方のための自助グループ) 問い合わせフォーム