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日本人は「みんなと一緒が好き」という大誤解

東洋経済オンライン
「集団から個の時代へ」と言われる一方で、「個の時代なんてやってこない。あれはうそだ」という論説も見かけます。論者によって「個」の定義がバラバラのため、混乱しているように思いますが、少なくとも私は、ド…
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書きました。
日本人は集団主義的で同調圧力が強いと言われていますが、これ別に日本人に限らない。むしろアメリカ人の方が強かったりします。
日本人は、自分以外の日本人は集団主義で自分はそうではないと思っている人も多いというおもしろい結果を考察しています。そう考えると、コロナ禍でみんなが自粛したのも決して集団主義的なものからではないという見方もできます。

僕じゃないけどこちらでアンケートしてます。面白いのでやってみてください
https://twitter.com/LudensNewsQue/status/1384736452601212933
日本人は決して集団主義ではないという主張。国際比較のアンケートが面白いですね
このあたりは山岸俊男氏の「安心社会から信頼社会へ」にある、安心と信頼の議論と近い気がします
日本は、社会の仕組みとして相互監視的であり、「空気」にみんながしたがって行動をすることで社会的な不確実性をなくすことでお互いのストレスを軽減しているだけであって、決して個人の性質としてそうなっている訳ではない、むしろ周囲の目さえなければ利己的な行動をとりがちである、という話があります
その意味では、個人の思想として「集団主義」ではないものの、結果としての行動はやはり集団主義的、というのが正しい理解なんだと思います
全体主義はどうかは別として「みんな」という言葉を使うのは好きですよね。「みんなが見てるからやめなさい」「みんな行くって言ってるよ」的な言葉は英語に訳しづらいなあと思った経験があります。Everyoneもtheyも結局誰を指してるかクリアにしなければ使えない。日本語の「みんな」はすごく曖昧で日本語ならではの表現だなあと思います。
気がつけば今までの人生の半分ぐらいが海外での生活になってしまいましたが、フランス人もスイス人もイタリア人も積極的にはNoと言わない方がマジョリティ、という印象です。
こちらの方々もゴマすりますし、長いものには巻かれますし、臭いものには蓋をしますよ。

フランス語には ”mettre au placard” (直訳; 棚の中に入れる)という表現があって、ちょくちょく耳にします。
「これはさすがに指摘するべきなのでは」と意見を述べた優秀な方々が棚に入れられてしまうケースも少なくないです。
特に、「“自分の知っている人“にどう見られているか」が気になる傾向は強いのかな?と思います。

良い面も勿論多いと思いますが、逆に他人に見られていないときにモラルある行動を取るのが難しい(モラルある行動を取る理由がない)側面もある気がします。
ある意味、「神様が常に見ている」という思考でモラルを保つことができる宗教観を持つ国民と違うところなのかな思います。
現代は何かに所属していることで安心が約束されるようなものではなくなっています。自分自身でキャリアデザインし、趣味や自己研鑽含めて、自分の強みを活かして、他者と繋がるコミュニティ形成力は必要ですね。
人から見られる抑止力が集団主義のように見えるかと思われる。
根底は目立ちたくない、ということかと。
「いや、誰もあなたのことなど気にしていない」と言っても通じないことが多い。