フアン氏の「風景」
マンハッタンのセントラル・パーク南端に位置する57丁目周辺は、「ビリオネアズ・ロウ(Billionaires' Row)」と呼ばれて久しい。高級百貨店バーグドーフ・グッドマンや、音楽の殿堂カーネギー・ホールがそびえているからというわけではない。著名投資家ビル・アックマン氏が一室を9150万ドルと、NY不動産市場で当時2番目の高額で購入した「One 57」を始め、数々の超高級コンドミニアムが立ち並ぶためだ。
韓国系米国人のビル・フアン氏は、自身が立ち上げたアルケゴス・キャピタル・マネジメントのオフィスを、そのビリオネアズ・ロウの一角「888 7thアベニュー」に構えた。数字の「8」は、韓国人にとって中国人と同じく金運と幸運を招くとして好まれるだけに、キリスト教徒ながらフアン氏も意識していたのではないだろうか。
フアン氏はフアン・ソングクとして1964年に韓国で生まれ、10代の頃、父親が教会牧師としてラスベガスに赴任するにあたって家族と共に米国へ移住した。当時は英語の読み書きができなかったものの、勤勉な性格からマクドナルドでバイトしながら英語を習得したという。
父の死後にロサンゼルスに移り、カリフォルニア大学で経済学を専攻した後、ペンシルベニア州ピッツバーグにわたりカーネギー・メロン・大学で経営学修士(MBA)を取得した。
フアン氏は現代証券で営業マンだった頃、運命が一変する。伝説のヘッジファンド、タイガー・マネジメントを設立したジュリアン・ロバートソン氏と出会い、彼の信頼を得て1996年に同ファンド入りの切符を手にした。アナリストとして入社後は、ロバートソン氏に韓国株の取引の推奨を通じ利益拡大に貢献し、愛弟子の地位をつかんだ。
ロバートソン氏と言えば、ヘッジファンド界の巨人であり、フアン氏を語る上で触れておかねばならない存在だ。ロバートソン氏は大学卒業後に海軍での勤務を経て投資銀行で20年以上働き、48歳でタイガー・ファンドを旗揚げした。
当初の運用資金は、自己資金の200万ドルと家族からかき集めた分を含め800万ドル程度だったが、最盛期には一時220億ドル超えへと成長した。ファンダメンタルズを重視したロング・ショート投資戦略で巨万の富を築きつつ、1998年に転換期が訪れ、ロシア危機や円高局面で損失を被った。
同氏は自動車や製紙などのオールド・エコノミー銘柄への投資は得意だった半面、新興のIT関連への投資出遅れも、敗因の1つに挙げられる。投資哲学に「徹底的なリサーチに基づく秀でたアイデアに、大きく投資せよ」を掲げるロバートソン氏にとって、当時のIT銘柄は魅力的ではなかったようだ。
ロバートソン氏がファンドを閉鎖した後、彼の支援もあって「タイガー・カブ(子虎)」と呼ばれる弟子たちが世界へ散らばっていった。
その代表格と言えば、タイガー・グローバルのチェイス・コールマン氏で、ヘッジファンド運用者収入番付で上位15人中1位と、師匠のお株を奪う勢いだ。他に同番付5位に入ったスティーブン・マンデル氏、バリュー投資で財を成したリー・エインズリー氏など、錚々たる面々が控える。