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幼稚園生や小学生低学年の「座っていられる力」の高さには驚くべきものがあり、最近参加した娘の小学校の入学式も、コロナ禍に鍛えられたということもあってか、大変静粛な雰囲気で行われていました。

日本の教育において、「大人しく座っていられる力」は非常に重要なものですし、長らく優等生の定義は言うことを聞く従順な生徒というものだったことも確かだと思います。

かつてのように、体罰で押さえつけると言うような指導はあまり行われなくなったように思いますが、先生たちの行いが正しくなったからこそ、反論の余地もなく、子供たちの生活環境はとても窮屈なものなのかもしれません。

さらに難しいのは、就職活動では、大人しくて真面目な生徒よりも元気のよく、よく話す生徒の方が好まれることが多くあるという点で、
先生の言うことを聞いて学校生活に適応したとしても、それが社会で求められていないと言うこともあり得る、ということです。

先日、不登校の生徒専門の中学校が開校したとの報道もありましたが、
https://forbesjapan.com/amp/40608

こうした学校が当たり前になるような社会になるのも必要な気がします。
私もイジメのフルコースを堪能した1人です笑。小学校2-3年がピークだったかな。イジメのある・なしは全て特定人物達のさじ加減でした。機嫌の悪い日は必ず何かが起こる。今思えば、その機嫌の悪さが家庭環境から来るものだったと理解はできるわけですけどね。改めて思い返してみても、彼らのどの家庭でも、親が変わってる人(異常なクレーマー)、家族構成や家庭に問題ある人、そんな人ばかりでした。子は親や家を映す鏡、ということなのだろう。
海外住まいだった自分も小学1、2年の時に夏だけ日本の学校に通い「ガイジンガイジン」と呼ばれていじめられました。都合の悪いことは忘れる主義なので、全く覚えていないのですが笑。

子供は成長過程でどうしても残酷になりがちですので、いじめの責任は全て周囲の大人にあると思います。自分が痛い目に遭わないと他人の気持ちなどわからないですし、子供は虫なども容赦なく殺したりしながら命の大切さも学びます。子供は残酷だという前提で、先生や親がしっかり介入して他人の痛みを教えることが大切だと思います。
子供の生きづらさは、自分を表現する機会を極めて狭められているところにある。勉強ができるか否か。そうでなければ、必要とされる人間ではないのかもしれないという、観念的な不安が、ストレスになる。

人間と人間、人間と自然、遊びを通じて、自己表現をし、遊びを通じて関係性をもち、自己を確認して精神的に成長していけることが、必要です。
10年前からの変化に驚いた。
認知(可視化)されているのは進歩だが、いじめはなくなりません。

理由は、管理者たる教師に解決のインセンティブも能力も無いため。あれだけ重労働、重責任、低賃金で児童の人間関係まで解決役まで担わせるのは酷。

しかし、教師が解決役を担うしかない。常日頃から児童とコミュニケーションを取ってなければ児童の誘導は困難なため(認知件数の10倍近い増加から、学校がカウンセラを置いただけでは、可視化はされど解決はしてない)。

極端な提案ですが、学習に関してはビデオ、オンラインで完全外部委託し、小学校教師の役割を児童の人間関係の解決役に集中させるのが、唯一の解決策だと思っています