2021/4/22

人類最大のR&D。火星から先端科学×新素材のブレイクスルーを起こせるか

NewsPicks Brand Design / Chief Editor
 ビジネスにおける長期的なR&Dは、とにかく難しい。多くの企業が世の中を変えるプロダクトやサービスの創出を目指すが、芽が出るかどうかわからない基礎研究や用途開発に投資し続けるには根気も体力も必要だ。

 宇宙ビジネス新時代の幕が開けようとしている今、民間企業はどんな動機で宇宙を目指すのか。人類最大&最長のR&Dプロジェクトである「宇宙開発」の意義を、サイエンス作家・竹内 薫氏と、極限追求・超継続・技術融合で先端素材開発に取り組む東レの複合材料研究所長・吉岡健一氏が語り合う。
INDEX
  • 知と技術のフロンティア「宇宙」
  • 釣り竿を人工衛星のアンテナに?
  • 宇宙船のエコロジーを考える
  • 宇宙空間は、究極のアウトドアだ
  • 火星からのイノベーションX

知と技術のフロンティア「宇宙」

── そもそも、なぜ人類は宇宙を目指すんでしょうか。
竹内 宇宙開発は、科学のフロンティアですよね。われわれ人類の根底には、未踏の地へ冒険したいという欲求があります。地上を踏破したら深海に潜り、空に向かっては地球の外側にまで好奇心を広げてきました。その最前線に現在の宇宙開発があるわけです。
 時々、宇宙開発なんて生活の役に立たないから予算を削ったほうがいいと批判する人もいます。でも、こういう各国の先端技術が集まっている領域は、一度開発を止めてしまうと、追いつくのに最低10年はかかると言われています。
 さらに、宇宙で開発されたさまざまな技術は、通信や電波技術、航空、ロボティクス、電子レンジの遮蔽など極限環境で使える素材として、実は民生用にも下りてきています。つまり、科学技術立国であろうとするなら宇宙開発のような頂点が必要で、それがないと徐々に全体のレベルが下がってしまう。
吉岡 私も、宇宙を目指すような人類だから今まで生き残ってきたのだと思います。アフリカから旅立った人類は、1万年くらい前には私たちが住んでいるような場所にたどり着き、深海や高山、宇宙へと冒険を続けました。先がある限り行ってみたくなるんでしょうね。
 私たちの研究も同じで、やれることがある限りやり続ける。たとえば、東レは航空機やロケットに使われている炭素繊維の研究を50年くらい続けてきました。ただ、「ずっと続けられてすごいですね」と言われるんですけど、その内容は常にリフレッシュされています。
── どんなふうに変わるんですか。
吉岡 よくあるのは、社内で炭素繊維複合材研究の話をすると、炭素繊維とは関係のない分野、医薬や高分子加工、フィルムの専門家から突拍子もない質問やアドバイスが飛んでくる。そうやって新しいアイデアやアプローチに気がつくと、そっちを試したくなってしまうんです。
 外から見ると同じ研究を続けているように見えているかもしれないけれど、実はどんどんアプローチを変えていて……逆にいうとアプローチを入れ替えられるテーマだけが、長期間継続できるのかもしれません。
竹内 科学は偶然が作用して思わぬ方向に研究が進み、新しい発見が生まれることが多いんですよね。
 先日、ポール・ナースというイギリスの遺伝学者の『WHAT IS LIFE?』という本を翻訳したんですが、彼がノーベル生理学・医学賞を受賞した研究も、さまざまな偶然によって成功しています。
 あるとき彼は菌類に汚染されたペトリ皿を捨てて家に帰るんですが、急に後悔の念に襲われ、自転車に飛び乗って坂を駆け上がり、研究室のゴミ箱から実験に失敗した酵母細胞を回収した。それが、細胞周期の進行を司る遺伝子の発見につながり、ノーベル賞を取ったんです。
写真:iStock / Scharvik
吉岡 そういうことってよくあるんですよね。失敗した実験がなにかのブレイクスルーにつながったり、異業種のお客さんから「こうするとどうなんですか?」と聞かれて、「ん?」と思ったアプローチを試してみたらうまくいったり。
竹内 吉岡さんの話を聞くと、アカデミックな研究者も企業の研究者も、根本は変わらないみたいですね。どちらも、知りたい、作りたいという探究心が根幹にある。やっぱり、研究はおもしろいから続けられるという面があると思うんです。
吉岡 もちろん事業ですから経営的なインパクトは考えますが、そういう根源的な欲求が研究の現場を突き動かしている側面は確かにあります。
 一方で、軽くて強くて変形しにくい炭素繊維という素材がある。これがいずれ航空機に使われるだろうということは、50年前にわかっていたんですよね。強度を維持して機体を軽くすれば燃費が良くなるわけですから、この素材がものになれば需要はある。だから、とことん継続しようと判断した。
 研究を始めたころは、さすがに宇宙開発までは考慮に入れていなかったと思いますが。

釣り竿を人工衛星のアンテナに?

竹内 宇宙探査や宇宙開発を進めていくには、さまざまな先端技術が必要とされます。東レさんの炭素繊維は、どういう用途で使われているんですか。
吉岡 ロケットやシャトルの機体のほか、人工衛星のアンテナのリフレクターや太陽電池パネルなどに炭素繊維素材が使われています。炭素繊維複合材料のなかには熱膨張係数が非常に小さいものがあり、温度が変化しても寸法が変わらない。それが宇宙開発に適しているんですね。
写真:iStock / PragasitLalao
── どういうことでしょう?
吉岡 宇宙空間では、日なたと日陰で200℃ほどの温度差があるんです。たとえば金属で人工衛星のアンテナを作ると、太陽光が当たる面が膨張してぐにゃっと曲がってしまう。
竹内 世の中にあるほとんどの物質は、温度が高いと膨張しますよね。
吉岡 そうなんです。でも、東レが釣り竿用に開発した炭素繊維のなかには、熱膨張係数がネガティブのものがありました。
 長いけどポキッと折れない釣り竿を作るには、剛性(力を加えたときの変形に抵抗する性質)を高めないといけなくて……(中略)……というわけで、結晶構造をコントロールしていくとグラファイトに近づいていくので熱膨張係数がどんどん下がる。
竹内 なるほど。そうすると温度が高くなるほど収縮する素材ができる。うまく使えば、宇宙空間の温度差でも形が変わらないアンテナができるんですね。
※膨張の仕組みを簡略化したイメージ図です。
 おもしろい。これこそ偶然の副産物ですよね。もともとは釣り竿の素材を研究していたわけですから。
吉岡 ええ。極限まで硬くて弾性率の高い材料を作ろうとしたら、宇宙で使うのにぴったりな「高温になると縮む」特性がついてきた。
 これから先端素材が宇宙開発に使われることも増えていくと思うので、どんな用途がありうるのか、いろいろ勉強して先読みしていかないといけないと感じているところです。
竹内 まだ人類は、有人探査では月までしか到達していません。国際宇宙ステーションは地上400kmですから、東京から神戸ぐらいまでの距離です。宇宙の広大さを考えれば、薄皮一枚しか飛び出していない。これから考えることはまだまだありますね。

宇宙船のエコロジーを考える

── 宇宙開発といっても、有人でやるか、無人でやるかで大きく違いますよね。
竹内 以前、JAXAの経営に関する委員をしていたときに、「日本もできれば火星に人を送り込んでほしい」と意見したことがあります。
 もちろん簡単じゃないのはわかるし、はやぶさ2のような無人探査もものすごい偉業を成し遂げた。でも、やはり生身の人間が宇宙に行くことのインパクトと達成感は計り知れないものがあります。
2021年、国際宇宙ステーション(ISS)に約6ヶ月間滞在する宇宙飛行士・野口聡一氏。(写真提供:JAXA/NASA)
吉岡 人類の根源的な移動癖を満たすとしたら、やっぱり竹内さんが言われたように有人で行きたい、となるでしょうね。
 ただ、人が広大な宇宙空間に出るには、長期間、密閉された閉鎖環境で暮らさないといけない。地球から持ち出せる物資も限られているし、外からの補給もできません。
 それを踏まえると、これから宇宙探査を進展させるためには、安全・快適でコンパクトに循環する「究極のサステイナブル環境」を実現しないといけなくなります。
 数年前にJAXAと東レが共同研究をして、「ムッシュオン®」という消臭繊維を開発しました。宇宙飛行士の山崎直子さんが「スペースシャトルから国際宇宙ステーション(ISS)に乗り移った瞬間、汗臭い部室のような臭いがした」と語られていて。
ムッシュオン®は合成繊維の材料となるポリマーを分子レベルで改質し、汗や尿などで発生するアンモニア臭を素早く消臭する東レのテキスタイル。(動画提供:東レ)
── なんとなく宇宙って無臭なイメージでした。洗濯機は回せないですよね?
 回せないんですよ。水を1リットル運ぶのに数百万円かかりますから。それでJAXAから臭いをなんとかできないかと相談があり、一本一本の糸にアンモニア臭が残らないような処理をして消臭効果を長持ちさせる繊維を作ったんです。こういうことが、宇宙船を快適な居住空間にするための小さな一歩ですね。
 さらにこれからは、水を100%再利用する技術や、燃料電池の小型化や効率化ということも必要になってくると思います。
竹内 宇宙船は閉鎖空間で、外から入ってくるのは太陽エネルギーだけという環境ですよね。おそらく、科学をある程度理解して信頼できないと、そういう環境では生活できないんじゃないでしょうか。
── リテラシーの問題ですか。
竹内 そう。たとえば、おしっこを循環させてきれいにして、また飲むわけじゃないですか。それに対する抵抗を克服するには、分子構造を頭に描いて「科学的に大丈夫だ」という知識が必要になるんじゃないかと。
写真:iStock / ppengcreative
吉岡 確かに。以前、アメリカの大学に在籍していたころ、ある女子学生が少量の水でリサイクルできるシャワーを開発しました。技術的には実用可能だったんですが、思わぬハードルになったのが、「パーセプション(知覚や認識)」だったんです。
 要するに、他人が身体を洗った水を再利用して、シャワーを浴びられるか、と。彼女は結局、その壁を乗り越えられなかったんですけど、同様の問題が宇宙船や月、火星でも出てくるでしょうね。
 ただ一方で、人間は広い生態系のなかでは水や空気を循環させて、糞や尿を養分としてできた作物や家畜を平気で食べています。そう考えると、ちょっとした捉え方でクリアできるような気もするんですが。

宇宙空間は、究極のアウトドアだ

竹内 それでいうと、アウトドアがヒントにならないでしょうか。本格的な登山やキャンプをする人たちって、水をろ過して飲むことに抵抗がないんです。飲み水を持っていくと荷物が重くなりますから、水がなくなったら普通に川の水をろ過して飲みます。
 アウトドア系の人は自然環境のなかで「生きる」という感覚があるから、躊躇がない。そこに感情的なものを挟まないんですね。
写真:iStock / AscentXmedia
 これって実は、極めて科学的な態度なんです。限られた物資と材料で一定期間生活する経験をしているアウトドア系の人のほうが、都会から出たことがない人たちよりも科学的精神を持っている。そういう意味では、宇宙は究極のアウトドアかもしれませんね。
吉岡 東レの宇宙ワーキンググループでは、有志が集まって、これからの宇宙開発にどんな素材が必要になるかを議論しています。今、竹内さんに語っていただいた「宇宙は究極のアウトドアだ」という話は非常に示唆的で、これからグループでディスカッションしてみたいですね。
 東レは、トレビーノ®のような浄水器や海水を淡水化する水処理膜の技術も得意分野なんです。こういった技術を追求していくと、宇宙開発にもアウトドア向けの製品にも活用できるかもしれません。
東レは家庭用浄水器のほか、海水淡水化や工業廃水の再利用などの水処理装置を販売している。(写真提供:東レ)
竹内 宇宙服に関してはどうですか。僕はよくスポーツ自転車に乗るんですけど、吸汗速乾素材のサイクリングウェアだと、本当に汗がすぐに乾きます。これは体力や筋力にも大きく影響するんですよね。
 先ほど臭いの出ない繊維の話がありましたが、宇宙空間では身体機能を維持するための運動も必要ですから、アスリート向けの繊維素材が応用されることも多い気がします。
吉岡 これも答えがないんですが、私たちは衣服という概念を覆すところまで議論する必要があると感じています。
 現在、世の中にある服は、地球環境で暑さや寒さを防ぐために最適化されたわけですが、その常識を取っ払って機能性を突き詰めると、フィルムではダメだろうか、塗布型の防寒具もありえるんじゃないかと、アイデアの幅が広がります。
 これもパーセプションの話ですが、そうだったと信じているものが本当に必要なのかという問いが最後に返ってくるんです。宇宙に持っていくものやそこでの快適さを考えることで、必要なものを棚卸ししているようなところがあります。
 こういうブレインストーミングから、次世代のアウトドアウェアや、未来の衣服のアイデアが出てくるような気がするんです。

火星からのイノベーションX

竹内 一つ、構造物についての質問をしていいですか。先日、山崎直子さんと話したときに、宇宙エレベーターの話になったんです。静止軌道上への輸送コストを考えると、ロケットを打ち上げるよりもエレベーターを作るほうが断然安上がりになります。
 そういった話が持ち上がったときに、カーボンナノチューブが注目されましたよね。
宇宙エレベーターとは、静止軌道上から上下にワイヤーを伸ばして建設するエレベーターのような構造物。
吉岡 そうですね。地上に作るとなると重力と強度の問題があったり、飛行機などの事故をどう防ぐかという対策も必要だったりして難しいんですが、理論的にはあり得ます。
 というより、比強度を考えると、地球に存在する素材のなかでは、カーボンナノチューブが一番適しているんです。
※密度あたりの引っ張る力への強さ。これが高いほど軽くて丈夫。
竹内 そう。山崎さんも「地球ではちょっと作れないんじゃないか」とおっしゃったんです。興味深いのは、最初に宇宙エレベーターができるのは、ひょっとしたら火星なんじゃないかという話になったこと。
 お聞きしたいのは、カーボンナノチューブってまだ短いものしかないと思うんですけど、火星で宇宙エレベーターを建設するほどの長いものって作れるんでしょうか。
吉岡 なるほど。確かに地球の重力だと途中で切れてしまうんですが、月や火星の重力であればいけるかもしれない。素材としては、カーボンナノチューブをつなぎ合わせて長いカーボンナノチューブを作るか、炭素繊維の構造をカーボンナノチューブに近づけていくかのどちらかかな……。
 これ、ちゃんと計算してみたいですね。もしかすると、実現不可能とされていた宇宙エレベーターのブレイクスルーになるかもしれない。
写真:iStock / narvikk
 こういうアイデアが本当に重要で、専門家だけで固まっていると、みんな考え尽くしたつもりになっているから、なかなかユニークな発想が出にくい。地球に作れなければ、月に作ればいいじゃないかっていう大胆な発想が大事なんです。
竹内 吉岡さんたち宇宙ワーキンググループの方々は、異分野の専門家が集まって今日みたいな話をしているんですね。
 おそらく、そこから出てくるアイデアは自身の専門分野では奇想天外で実現不可能に見えるかもしれませんが、科学者が常識的なことばかりやっていてはブレイクスルーは起こらない。
吉岡 そうなんです。ブレイクスルーはそもそも計算できないものだから、できるだけそれが起こりやすそうな状態を、いかに長く維持していけるかがポイントです。
 今日みたいに異分野の方とお話しすることもそうですし、月や火星に立つとどうなるかと考えることもそう。竹内さんがおっしゃったように、本当に必要かどうかを疑ってみることも、新しい発想を生みやすくする工夫ですよね。
竹内 科学技術の研究・開発には、最初から小さな殻に閉じこもらず冒険を続けることが大事なんでしょうね。常識の範疇を超えてイノベーションを起こすため、地球の外へ出てみるというのはおもしろい。
 人類が宇宙を目指すことの意義って、そういうところに見出せるんだと思えてきましたよ。