「勉強し続ける人」だけが得る力。「全然勉強しない人」は生まれもった素質でしか勝負できない
コメント
選択しているユーザー
勉強する意味は、ここ(様々なことを知識として経験として身につけ、世界を広げ自分なりの物の見方を身につけること)に尽きるのかなと思いました。
幼い時は、そこに気づくことが難しいですが、それに気づく方法としては経験なのかなと思います。
その経験とは、何かを成し遂げたり、何かに全力で取り組んで失敗したりする事だと、私は定義づけています。
幼い時はその経験が少ないから気づきが少ない。逆に若いのにたくさんの事を経験している人、経験させてもらった人というのは必然とその経験から何が学び取り、それを次のステップでも生かせるから魅力的に映るのだと思いました。
注目のコメント
勉強させられるという認識を変える。
勉強し続けないと大変なことになる。そんな強迫観念も持たない方がいい。
ただ自分のために、好奇心をふくらませ、ワクワクしながら学び続ける。そして成長し続ける。それだけのこと。
させられる、しなければならないという、束縛から自分を解放することから始めましょう。弊社でも昔からTHINK、主体的に考えに考え続けることの重要性を掲げています。
勉強は人にやれといわれて受け身でやっていても、なかなか思考することを楽しいと思うまでは程遠く、主体的に自ら思考することで学びの楽しさを得たら、このポジティブなサイクルがまわりはじめますね。新しいことを学ぶ、知らなかったことに触れる、人の生き方に少し触れたら、自分色にカスタマイズして適用する、色々な幅が広がります。
常にダイバーシティで多様ある考え方、客観的な物の視点を持つことができるようになるための材料となる学びを続けていきたいですね。毎日コツコツ勉強し始めて7ヶ月が経ちました。
4月から社会人2年目になりますが、コロナ禍で過ごした1年は勉強をする時間を与えてくれた賜物と勝手に思い込んでいます。
特に社会人1年目として、何もわからないまま飛び込んだ社会人は"普通"ではありませんでした。そこでコロナだからと投げやりになる人もいれば、良いきっかけと捉える人と二極化したと思います。そしてその多くは、勉強習慣の身についた人が多いのではと予想してます。
投げやりになる=思考が停止することです。思考の停止こそ、人の成長を妨げます。一方、勉強習慣が身についた人は、勉強から学んだ知見をアウトプットして思考を働かせ、結果に基づいた経験が蓄積されます。
この蓄積を1年間で出来た人こそ、"勉強し続ける人だけが得られる、大切な力"だと思います。
周りに左右されず、自分の筋道を立て、目標に向かって勉強をする。
学びこそ人間に与えられた最大の特権です。