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東哲郎(9)シリコンバレー

日本経済新聞
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  • 製造業 Marketing Manager

    シリコンバレー滞在ほんの1年ちょっとなのに濃密だなあ。。。東京エレクトロンが豪邸をシリコンバレーに借りて家族ぐるみでVIPをエンターテインメントせよ、というのはなんというかすごく納得感がある。
    80年代前半とかのシリコンバレーの人脈って、値千金というか、すごーく、価値がありますよね。そのあとの、シリコンバレーの成長を思えば。
    なにせ、シリコンバレー企業って大企業での出世や転職のテンポが早い。会社も次々に統合したり合併したり買収されたりする。
    ここで人脈をきちんと構築すると、後々の会社業績などにすごい影響がある。そこまで東京エレクトロンが見越して派遣したのかはわからないけど。

    (以下本文より抜粋)
    会社が用意したわが家はプールつきの豪邸だった。家族5人ゆっくりくつろげというのではない。顧客に宿泊してもらい、取引先と引き合わせ、食事をしながら本音に迫れというわけだ。

    東京エレクトロンにとっても新しい試みで、私は実験台になったとも言える。私にとって貴重な出会いが多く、その後の財産になった。

    例えばロジャー・エメリックさん。東京エレクトロンが日本に輸入し販売する製造装置のメーカー、ラム・リサーチの最高経営責任者(CEO)だった。

    メモリーが中心の日本の半導体メーカーには製造装置にも独自の要望がある。それに対応するため日本でも装置を生産しようと東京エレクトロンとラム社で山梨県に合弁会社を設立したのが83年。商社として出発した東京エレクトロンが本格的なメーカーへの一歩を踏み出した時期だ。

    そういうプロジェクトを現地でサポートし、私とロジャーの距離は縮まった。彼は「日本人はもっと遊べ」が口癖で、私たち家族をサンフランシスコ湾のヨットクルーズに誘ってくれたりした。彼の奥さんはインテリアデザイナーで、わが家の家具選びを手伝ってくれたのも思い出す。

    バリー・ラポーゾさん、エド・シーガルさんには米国の文化や生活様式を教わった。ほかにもつき合いのあった大勢の顔がよみがえる。


  • ユーザベース SPEEDAアナリスト

    シリコンバレーが「シリコン」だった時代。
    TELは、元々は商社。半導体で先行していた米国の装置を日本に輸入する、TBSからのベンチャー。そこから記事にあるようなJVを通じて製造に乗り出していった。
    そういう文脈があるから、一般的に営業力が強い会社として知られている。記事からもこういう関係の深め方など、技術だけでなくどういう関係を構築していくかという強さの一端が窺える。もちろん小手先の話ではなく、それで信頼を構築できるから、のもの。


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