「国語」で「文章力」が鍛えられない決定的な理由
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私の場合、文章を書くことは得意でしたが、浪人して小論文が受験科目にある大学も受けることを決めたので、予備校の小論文講座でマンツーマンで指導していただきました。
指導内容は美しい文章を書くための小手先テクニックではなく、なぜ私がいまこの文章を綴るのかという根源的なもの。
弟子入りした初日に課された課題は「愛について」綴ること。奥深く、本当に自分の人生を左右した一年でした。
注目のコメント
これ!まさに!私もずっと思っていることで、日本語で小論文が書けなければ、ましてや英語でなど到底無理。自分も日本で小論文の指導を受けた記憶がないので、アメリカの小学校で子供たちが「小論文の書き方」(現地校ですから英語です)を習っているのを見て目から鱗でした。
秋に日本の大学で教えることになっており、この点は基礎スキルとして指導に取り入れる予定です。小論文は「積み重ねがどうしても出てしまう」というのは納得です。普段から色々思考すること無しに自分の文章は書けないですよね。反対に、書くべき思考を持っている人なら、基本的な書き方のルールさえ教えてもらえば、わりとサラッと書けるということ。学生でも1、2回の添削で見違えるような論文を書ける子と、何度直しても書けない子の違いはそういう所からくるのでしょうか。
「付け焼き刃でなんとかならない」からこそ小論文という試験がある,に深く共感する。
考えの組み立て方や 洞察力などを見るために、小論文が役に立つ。 一方で よいものを持っているのに 稚拙な論文になっているケースもある。 どう書くか,そのための準備も含め 教えることは 大切。