英紙東京支局長が問う「なぜ花見は中止するのに東京五輪は決行するのか」 | 「犠牲の分担」は公平かつ公正か
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注目のコメント
>パンデミック対策の心苦しい仕事のひとつが、なぜ人を死なさなければならないかを決めることだ。権力を持つ人は誰もそれを認めたがらないが、これは避けて通れないことでもある。
>政府がしなければならないつらい仕事は、「完全なロックダウン」と「完全な自由」とのあいだで妥協点を見つけることだ。
>公共の集まりを実施すれば、感染者や発症者、そして場合によっては死者が出ることになる。政治家は、そのことを踏まえて公共の集まりの実施を、いつ、どのように許すのかを決めなければならない、ということだ。
>そんなとき政治家はこう言っているのに等しい。
>「今回のこの行事に関しては、少数の死者が出ることを許容します。それに見合う価値があると考えるからです」
全くその通りです。非常に同感。
この事実から目を背けている限り、外出する派と自粛派が相互理解することは出来ないでしょうね。
私は、みんなが通勤したり外出したり旅行したりすることは今日時点でも『是』だと思っています。
それに伴う犠牲がゼロではないことを承知して。(そもそもゼロには出来ない)
政府は、ちゃんとスタンスを明確にしてほしいですね。
明確にしてから、GOTOなりオリンピックなり、そのスタンスと合っているからやるんだ(もしくは中止するんだ)という決断をしたという、一貫性のある対応を望みます。
もし一貫性が取れなくなるならそれはスタンスを変えることに他ならないので、その場合はスタンスを変えたことや変えた理由をまずは説明すべき。今、自粛をしないといけない花見って「飲酒を伴う花見」であって、桜の木の下を散策することは禁止されていないのでは。
オリンピックの開催の是非はともかく、イベントの開催=コロナによる死者を出す という図式で語ることは思考停止に過ぎないと思います。
大事なのは、一人ひとりがやるべき対策を粛々と行なっていくことで、感染を防ぐことができるということを繰り返し周知していくことなのではないでしょうか。
大規模イベントやらGO TOやら、いちいち槍玉に上げるのはそろそろやめませんか。