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1人5千万円の補償要求に110万円提示の中国側…膠着状態破った「親の悲しみに国境なし」 : 社会 : ニュース

読売新聞
中国・上海で1988年3月、修学旅行中の高知学芸高校(高知市)の生徒ら28人が犠牲になった列車事故で、補償交渉の顧問団長を務めた元全国犯罪被害者の会(あすの会)代表幹事の岡村勲弁護士(91)が難航した交渉の記録をまとめ
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1988年の中国に修学旅行に行っていたことに、改めて驚きます。
当時の中国はまだ食料は事実上配給制でした。

人の命の値段は、正直言って国によって違います。当時の中国ならば、これくらいの差はあっただろうと想像します。
1988年深圳に行きました。
深圳駅の前はまだ広い空き地で、いくつかのビルと建設中のビルが何棟かがあるだけでした。
深圳の隣にある宝安県に、工場視察に行ったのですが、見渡す限り何もないところに、当社工場と斜め後ろに立体駐車場がありました。工場の屋上から360度見渡すと、碁盤の目の道路と立体駐車場、それ以外は遠くに建物がいくつか見えるだけ。
自動車は我々の車くらいしかなく、中央で指揮をするとこう言った馬鹿なことがおこるのだと、赴任者は残念がっていました。(10年後にその辺りを通ったら、建物ばかりで、当時の工場がどこにあるか分からず、中国政府の先を見る目に驚いたものです)

工場は2カ月前に立ち上がったばかりで、100人の従業員と5人の赴任者。昼食は毎日そのウチの一人が担当で作っていました。近くの食料品店の野菜は食べられたものではなく、毎週土曜日香港までリュックを背負って買い出しに行くとのことでした。売れそうな野菜は外貨を稼ぐため、香港に輸出しているのだそうです。
昼食はボンカレーとキャベツの半切りの上にマヨネーズ。上司から、こういう赴任者によって会社が支えられていると諭されたものです。

中国の発展を支援しなければならないと、33年前出張報告の最後に書いたことを思い出しました。