「自己責任論」をあおると、じつは「経済成長」が難しくなるって知ってましたか?

結局みんな不幸になる

近年、日本においてかなりの頻度で耳にするようになった言葉のひとつに「自己責任」がある。投資やビジネスの世界では、結果の責任はすべて自分が負うという意味で「自己責任」という用語がよく使われるが、今、日本社会で多用されている自己責任論はこれとはニュアンスが異なる。

本来の意味を超えた過度な自己責任論は、社会的にはもちろんのこと、適切な経済成長を阻害するという点において経済的にも問題がある。

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声高に叫ばれる自己責任論

自己責任という言葉は、投資の世界における「自己責任原則」を除けば、明確に定義されているわけではなく、自分の行動がもたらした結果は自分が責任を負うというニュアンスで広く使われている。だが、責任が及ぶ範囲がどこまでなのかについては、その言葉を口にする人によってバラバラであり、明確な共通認識はない。

投資における自己責任原則のように投資活動に限定した使い方であれば、この言葉が多用されたところで大きな問題は起きない。株式投資はまさに自己責任の世界であり、どの株をいくらの値段で、いつ買うのかを決めるのはすべて自分であって、それ以外の要素が入る余地はない。

「アナリストの言ったことが外れた」「マスコミの報道が間違っている」「投資本に書いてある通りに投資して失敗した」などというのはただの言い訳である。ビジネスの世界も同じであり、判断ミスをすれば損失が発生するのは当たり前のことであり、それを他人のせいすることはできない。

明確にルールが定められているわけではないものの、経済活動における自己責任論の背景には「相応の意思と能力を持った人が参加」することが前提になっており、そのようなゲームにおいては「自分自身がすべての結果を負う」という暗黙のルールが存在している。実際、投資をする意思や能力がない人が、騙されて投資をした場合、自己責任ではなく、被害者という位置付けになるはずだ。

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