2021/3/29

【夏野剛】経営者はプロダクトへの「執着」を忘れてはいけない

NewsPicks, Inc. Brand Design Editor
コロナ禍でリモートワークが加速したことで、押印による承認業務や紙での経費精算など、出社しないとできない仕事が浮き彫りになった。
デジタルプロダクトの開発・制作現場でさえ、何百、何千種類にも及ぶスマホ端末やさまざまなOS環境で動作を検証する必要があり、エンジニアがオフィスに縛られている。
「デジタルを社会に実装するはずの現場で、DXが進んでいない。その問題を、経営者は見過ごしてはいけない」
そう警鐘を鳴らすのが、NTTドコモ時代に「iモード」や「おサイフケータイ」を実現させ、日本のモバイルインターネットを切り拓いてきたドワンゴ CEOの夏野剛氏だ。
昨年2月に、ドワンゴ社の約1000人の従業員を対象にリモートワークを導入したことでも話題になった。その夏野氏が語る「デジタル化に潜む最後の聖域」とは?
INDEX
  • デジタル化に潜む「最後の聖域」
  • 膨大な「端末管理」が不要に
  • プロダクトへの「執着」を取り戻す

デジタル化に潜む「最後の聖域」

──コロナ禍でリモートワークが加速した一方、押印や紙資料に縛られて、いまだにオフィスに出社しないとできない業務の多さも浮き彫りになりました。
夏野 コロナ以前も技術的にはリモートワークはできていたし、オフィスがなくても仕事ができるかもしれないと誰もが想像したことはあったと思うんです。
 ただ、「なんだかしっくりこない」というイメージが払拭できずにいた。
 僕も以前からリモートワーク化を提案していたんですが、「全面的に導入するのは難しい」とか「やはり顔を見て話すことが重要」という声が根強くあって、なかなか進められなかった。エンジニア比率が高いインターネット企業のドワンゴでさえ、そんな雰囲気だったんです。
 ところが、コロナ禍で否応なくリモートをすることになった。ドワンゴの場合、昨年2月から原則的に全社員約1000人がリモート勤務になりました。
 実際やってみると、障壁だと思い込んでいたほとんどのことが、なんの問題もなかった。リアルで会わなくてもオンラインのコミュニケーションで事足りるし、人事評価すらオンラインでできる。リモートを導入して3カ月も経つと、社会全体で、それが当たり前になりましたよね。
 いかに、ムダな慣習やルールに縛られていたのか。個人、企業、社会全体がそれを痛感したと思います。そういう中で、「どうしても出社しないといけない」社員の存在が可視化された。
 ドワンゴの場合、障壁になっていたのは「実機検証」でした。
──実機検証、ですか。
 そう。ハンコは想像できると思うのですが、これは落とし穴でした。
 スマホのサイトやアプリを開発するエンジニアは、端末ごとの画面サイズやスペックを参照し、しっかり動作するかを逐一確認しながらコードを書いています。
 そのため、複数の実機を手元に置いて検証する必要があったのですが、そのためにはオフィスに出社しないといけない。
 何百種類もある端末を自宅に置いておくわけにはいきませんし、一台紛失しても大問題ですから。本来デジタルを社会に実装する側のエンジニアでさえ、出社というアナログな行動を求められた。
 こういった業務を担っていたのは、現場の若手エンジニアです。つまり、経営者から最も見えにくいところに課題があった。いま、私たちがやるべきなのは、デジタル化に潜んでいた「最後の聖域」という問題を、どう解決できるか考え抜くことです。

膨大な「端末管理」が不要に

──経営サイドには、エンジニアの仕事は見えていなかったのでしょうか。
 エンジニアと一口にいっても、プロダクトの開発を担う人間と実機検証やデバッグ作業をする人間は別なんです。
 実機検証は経営と距離のある若手が勉強を兼ねて担うことが多い。先輩が実装したコーディングを深夜までチェックするなど、ハードな労働環境になりがちで、それが離職につながるという課題も以前からありました。
写真: iStock / gorodenkoff
 デジタルを扱う企業を下支えしているのは、検証の工程です。でも、その業務に携わる人たちが、コロナ禍でも出社を余儀なくされていた。その努力が報われるような評価がされていないケースが多かったんです。
 しかも、社会的にこれだけリモートが進んでいるのに、デジタル企業が実機検証というアナログな世界に取り残されている。その深刻な課題に、今回改めて気がついた経営者も多かったと思います。
 コロナが終息したところで、リモートワークは恒久化していくでしょう。出社に限らず、さまざまなサービスのオンライン化も止まらない。そのときに、この課題をどう解決するか、です。
──海外では、実機検証のために出社することはないのでしょうか。
 例えばグローバルにビジネスを展開している米国企業では、実機検証は人件費の安い海外拠点に投げるのが当たり前なんです。国内でタッチしないから、こういった労働集約的なプロセスのデジタル化を進めるニーズはあまりないんですよね。
 日本の場合は機能・品質に強いこだわりを持っているため、動作確認や検証を内製化したり、海外に出したとしても最終チェックは社内で行ったりするケースが多い。
 実機検証のような労働集約型の業務をテクノロジーで解決するのは、日本の得意分野だし、それに取り組む条件もそろっている。
 私がアドバイザーとして携わっている、クラウド上で実機検証を行う「Remote TestKit」(NTTレゾナント)は、そんな日本の特徴が表れた先駆的なプロダクトといえます。
Android、iPhone、タブレットなどスマートフォンの実機がなくても、インターネットに接続できる環境とPCがあれば、いつでもどこからでも即時にレンタル可能
 おもしろいところでは、最近はエンジニアだけではなく、カスタマーサポートのコールセンターなどでも使われているそうなんですよね。
──どう使うんですか。
 私がドコモにいた時代は、不具合の解決法や使い方を問い合わせてきたお客様の環境を再現するため、コールセンターの片隅に何百台もの携帯電話が用意されていました。
 技術的な相談に対応するときは、手元の実機を操作しながら相談に応えていたわけです。
 ドコモの場合、端末のサポートは7年間。アプリやWebサービスを開発している企業はだいたい3年分の端末やOSをサポートしてます。毎シーズン新機種が出る携帯端末の3〜7年分。それを管理・保管する作業は非常に煩雑です。
 ちなみに携帯電話の充電器は、今でこそUSBや共通のケーブルで補えますけど、昔はガラケーのキャリアや端末ごとに違っていた。管理も大変だろうし、もし充電器を紛失してしまったら一大事でした。
 Remote TestKitを使えば、クラウド上であらゆる実機を操作できるので、膨大な端末をストレージに保管することが不要になる。エンジニアにとってもコールセンターにとっても、魅力的なプロダクトです。

プロダクトへの「執着」を取り戻す

──プロダクトの開発現場には、どんな価値を生み出しますか。
 Remote TestKitの最大のメリットは、膨大な実機の管理から解放されることです。
 特に実機検証では、端末の購入費用のほか、設定やアプリのインストールなど、準備に多くの時間を要します。しかも当然ながらそれ相応の費用もかかります。
 実機で評価している時間よりも、評価の準備のための時間の方が長いのです。それら全ても効率化が可能です。
 加えて言うと、開発プロセスを共有できるのも大きい。
 元々、エンジニアはチームで一緒にコードを書くなど、プロセスを共有しながら仕事を進めるやり方が浸透していた職種でした。実際、ドワンゴでは、みんなで大画面にコードを映しながら開発をすることがあります。
 それは、エンジニア以外の職種にも広がる動きだなと思っていて。例えば会議の議事録をリアルタイムで共有しながら書く機会も増えているのでは。
 このリアルタイムにシェアしながら仕事を進めていくやり方は、さまざまな職種に可能性があります。
 それに伴って、開発途中の段階で経営者や事業責任者がチェックすることも、今後増えていくでしょう。
 これまで経営者や事業責任者が開発中のプロダクトをフィードバックするのは、ある一定のレベルまで完成したデモ版でないと難しかった。
 それがRemote TestKitを使うことで、途中段階でも部分的にチェックすることが簡単にできるようになります。
 Remote TestKitはデジタルを扱う経営者がよりプロダクトに関心を持つきっかけとしても、大きな効果を発揮するはずです。
──確かにエンジニア以外の人がプロダクトに触れるのは、リリース間近になってからのことも多い印象です。
 そうでしょう。そもそも、経営者が検証過程に興味を持たないのはナンセンス。例えばスティーブ・ジョブズは、逐一自分で実機を触り、細かいフィードバックを自ら実践してきました。
 私も携帯電話を開発していた当時、開発途中の段階で試作機を逐一確認し、その度に指摘を入れていましたが、サービスの成否は、本当に細かい使い勝手や些細な要素で分かれるものです。
 逆に、それができない経営者は、プロダクトにこだわりがないということ。経営者失格です。
 経営者はプロダクトへの執着を、忘れてはいけない。
 エンジニアに全てを投げるのではなく、経営者やプロジェクト・オーナーが自らチェックし、どんどん指摘して、クオリティや精度を上げていく。それは、これからの日本企業の成功において不可欠なプロセスになります。
 優れたプロダクト開発を目指す企業にとって、Remote TestKitは「想像力」を補う重要な武器になるはずです。