高校就活「1人1社」の弊害
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「情報量の差は早期離職率の違いになって表れている。就職して半年以内に離職した人の割合は就活で得た情報量が「十分」だった場合は8.4%だが、「不十分」だと13.3%」
「情報を集める企業数が少ない背景には、1人の生徒は原則1社しか応募できないという「1人1社制」の慣行がある。」
注目のコメント
ワタシが高卒生の採用を担当していたのは1990年代でしたが、当時は募集も応募も高校経由、「選考解禁日」の9月16日まで候補者たる高校生との直接コンタクト禁止、故に企業の人事担当がアプローチするのは進路担当の先生、と。こうなっているので、もう「選考」は形だけ。そこで初対面となった高校生も企業も「否」はできない。
これじゃ本人意思もヘッタクレもあったもんじゃない。まだ人事担当1年生だったワタシですがそう思いました。これは絶対におかしいな、と。
若年である高校生の就活に対して「求人秩序の確立」を目的にできたこの仕組みの意義はわかります。しかし、これ1940年代、国家総動員体制下の頃の話ですからね。さすがに見直されるべきではないでしょうか。そもそも高卒採用を行っている企業と高校生とのマッチングは、非常に難しい。分かりやすい「夢のある仕事」的業種が皆無だからだ。
1人1社というのは、最も主役であるはずの高校生(就活生)を蔑ろにして、高校現場と、断られると困る企業の、二者のエゴでしかない。
離職率が高いのは当然と言える。
「ここから内定もらったら、絶対に断れないからな!断ったら、お前の後輩たちに求人が来なくなる。責任があるんだぞ!」
と、高校生たちは進路指導の教諭に脅されているのである。
18歳人口が激減していく日本社会において、その現場は受験戦争で大学進学を至上命題としている80年代から一切変化していない。
つまり高校の進路指導とは「クソ」であると!あえて言おう。結果として高い離職率があるのだから,早急に対策を立てることに躊躇していられない。 現在の選考方法が確立した経緯と,「思考停止」になってしまった現状からの脱却がなぜできないのか?
ぜひ行動を起こして欲しい。 企業と高校・教育者の責任は大きい。