令和2年度 東京大学学位記授与式 総長告辞

令和2年度 東京大学学位記授与式 総長告辞

本日ここに東京大学より博士、修士、専門職の学位記を授与される皆さん、誠におめでとうございます。

このたび、修士課程3,156名、博士課程1,046名、専門職学位課程321名、合計で4,523名の皆さんが学位を取得されました。そのうち留学生は1,129名です。

皆さんは、私が総長として送り出す最後の修了生となります。皆さんの学業の最終年に起こった新型コロナウイルスの感染拡大は、私たちの社会のあり方や日常を大きく変えました。この一年は、東京大学の144年の歴史のなかでもとりわけ困難で、かつ大きな転換に挑んだ年として、人びとの記憶と記録に刻まれ、永く語られることになることでしょう。

そうした不自由と困難のなかでも諦めず、日々研鑽に励み、本日ここに修了の日を迎えられた皆さんに、東京大学の教職員を代表して、敬意を示すとともに、心よりお祝いを申し上げます。また、皆さんの学業を物心ともに支え、この晴れの日を共に迎えられたご家族の皆様にも、お祝いと感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。

私たちは今、デジタル革新と呼ばれる、大きな変革の時代を生きています。さまざまな技術革新とインターネットの繋がりが創り出したサイバー空間の急拡大は、個人の生活から、国家や世界のあり方全体を激変させています。そのさなかに私たちは新型コロナウイルス感染症の世界的拡大に遭遇したのです。この1年間の感染症対応において、さまざまな場面でデジタル革新に助けられたと感じています。

リアルタイムでのオンライン会議は、大学の活動を中断しないための命綱となりました。とりわけ私が驚いたのは、mRNAワクチンが驚異的なスピードで開発されたことです。これまでの不活化ワクチンや生ワクチンの開発製造からすると信じられない早さです。今回の感染症対策を支えているのは最新のデータサイエンスやAI技術です。また、ワクチン開発においてはデジタル化されたゲノム情報が世界に公開され、連携協力が一気に進んだことも重要です。

大学内でもデジタル革新は急加速しています。昨年4月から教職員と学生が一丸となって全講義をオンライン化し、学事をほぼスケジュール通り進めることができました。オンライン講義に関する情報ポータル「utelecon(ユーテレコン)」は本学だけでなく、他の大学の教員にも参照されています。また、本学が開発した接触確認アプリ「MOCHA(モカ)」は、すでに学内の講義室や食堂の混雑状況の確認に利用されています。オンライン講義のメリットも数多く見つかりました。通学の距離や時間を気にせず講義に出席でき、駒場や柏地区の学生が授業の合間に本郷の講義を聴講したりすることが可能となり、歓迎する声も多く聞かれました。

私は一年前、感染急拡大で急遽オンライン中継となった学位記授与式で「バーチャルに拡張された安田講堂において、祝いたい」と述べました。学部学生有志によるバーチャルな卒業式も工夫され、それをきっかけに「バーチャル東大」というVR空間が生まれました。昨年9月の「高校生のためのオープンキャンパス」では、これを活用させてもらい、私自身もアバターとして登場しました。延べ1万4千名もの高校生が全国から訪問し、大盛況でした。参加した高校生たちからは「実際にその場にいるような気がした」とか「皆と一緒に参加している感じで楽しかった」といった声が寄せられています。

しかしながら、ここで発見されたのは、単なる技術の便利さやVR空間アプリの楽しさではありません。それは物理空間とサイバー空間との高度な統合であり、もっと大きな可能性につながっています。デジタル革新は、印鑑をそのまま電子印に替えるような、既存の仕組みをそのままデジタル化することではありません。そもそもなぜ印鑑が必要だったかという原点にまで立ち返り、最新のサイバー技術を存分に活かし、新たな社会制度の構想と統合とに取り組むべきなのです。そうした高度な統合が生みだす新しい可能性とはなにか。ヒントは、私たち自身のからだにあります。脳は情報システムを司っていますが、身体はその情報と物理空間とをつなぐ役割を果たしています。情報で作られたサイバー空間と身体が属する物理空間は、別々の存在ではありません。すなわち、物理空間とサイバー空間を対立させ分離してしまうのでなく、私たちの身体が実現しているようになめらかに統合させるべきなのです。この「身体性」は、デジタル革新を考えるうえで、とても重要なキーワードなのです。

私がコロナ対策の経験から学んだ、もう一つの主題も、この身体性に深く関わっています。それは、これまでごく普通の当たり前と思っていた、空気を共有した対面コミュニケーションの価値の再発見です。研究活動や教育、大学運営を円滑に進めるには、相互の信頼関係や共感が不可欠です。現在のリモート環境だけでそれを醸成するのは難しいということを何度も痛感しました。サイバー空間における身体性の問題です。私は、人間がコミュニケーションに用いる言語のルーツは互いの毛繕いだったということを昨年度の卒業式で紹介しました。未来の情報メディアに、手触りや温もりといった身体感覚をどのように取り込んでいくか、それは学問的にも大変魅力的な挑戦課題なのです。

一方で、身体は意識されにくい対象です。今皆さんは、私の話を座ってお聞きになっていますが、自分のどの筋肉がどのように作用して、動きのバランスをとっているかなど全く意識していないでしょう。日常生活では、身体は黙って仕事をしているのです。この寡黙さは、ケガをした時のリハビリテーションやスポーツのコーチングの難しさでもあります。

しかしながら、身体を通して獲得する知識・経験はかけがえのない財産です。私自身もかつては、対面での演習や講義とオンラインの状況で得られる情報はさほど変わらないように考えていました。しかし、実は身体知ともいうべき作用が存在しているのです。対面の機会がコロナ禍で大きく制限された結果、我々は当たり前に思っていた大学という物理的な空間のかけがえのなさを再認識したのです。現状のオンラインツールでは醸成できない身体知の価値は、今後ますます大きくなるでしょう。その一方で、教室での講義や実験や実習、フィールドワークなど、対面での活動の質を高めていくことも大切です。

先ほど、身体と脳の関係について、物理空間とサイバー空間の融合に他ならないという話をしました。イギリスの哲学者アンディ・クラークは、「言語が登場して以来、我々はある意味サイボーグだった」と述べています。リアルな身体とバーチャルな言語は複雑に絡み合っているのです。人間は言語の発達において、情報と身体とが融合する空間を多次元に生みだし、個人の肉体の限界を超え、社会という協創の仕組みを発達させてきました。つまり人間は声を出すことで、身体を他者と共鳴させ共感を育み、そして文字というメディアを使いこなすことによって、時間・空間をこえた知識の共有を拡張してきたのです。皆さんが学んだ大学での多様な学問も、その長年にわたる蓄積の成果なのです。

皆さんはスマホでの日常のやりとりで、「emoji」を使いこなしているのではないでしょうか。私自身はあまり使いませんが、このemojiが切り開く新たな可能性には注目しています。微妙なニュアンスを伝えるのにも便利なこの新しい文字は、1999年に日本で開発され、世界各国でも用いられ、2016年にはニューヨーク近代美術館に永久収蔵されています。その総数は3000字以上と言われ、常用漢字を超えています。言語学や情報学の真面目な研究対象にもなっています。今日、修士課程を修了される、学際情報学府と新領域創成科学研究科の大学院生4名のチームが開発した、emoji入力のためのキーボードと入力支援システム「emolingual(エモリンガル)」は大変注目を集めています。

先ほどコロナ禍で、私自身がサイバー空間における身体性の大切さに気づいたことに触れましたが、emojiはある意味で身体的表現の復権でもあると思うのです。歴史的にみると、手紙などの手書き文字が廃れ、標準化された活字や印字が中心となり、文字の書きぶりに気持ちを込める機会が失われていきます。他方において、サイバー空間では生の感情がぶつかり合う炎上や、姿も顔も見せないままでのヘイトスピーチや排除の暴力が目立っています。そのようななかでemojiはいわば感情を表現する「表感文字」であり、現代の情報技術を使いこなして、情動と身体性を備えた新しい文字を生みだす工夫なのです。それは、言語本来の触れあいの共感を復活させるものとなるのかもしれません。

今、私たちの生活では、サイバー空間の重要性が増しています。そのサイバー空間はフェイクニュースの蔓延や、エコーチェンバー効果による分断の深刻化など、荒廃が指摘されています。一方の物理空間の方も地球温暖化は止まらず、危険な水域に入っています。産業革命以降、人類の活動規模が拡大し続け、地球環境そのものを左右する力まで持つようになりました。新たな地質時代「人新世」という言葉の登場は、その危機感を象徴するものです。日本でも昨年10月に2050年までにカーボンニュートラルを目指すという目標を掲げました。昨年12月に東京大学が主催した、東京フォーラム2020で最新の科学データも踏まえて議論を行いました。そこでは、2030年までに二酸化炭素排出量をほぼ半減出来なければ、人類は自らの意思と行動によって地球システムを制御する機会を失うかもしれないとの議論になりました。残された時間はあまりありません。とはいえ、今私たちの手元にある知恵だけでは対処できないことは明らかです。そのために必要な知恵をどうやって繰り出すのか、それが問われています。

そうしたなかで、大学はいま何をなすべきなのでしょうか。私は、新しい知恵をどうやって無から生み出すのかが問われているのだ、と思っています。

このことを考える時、私はいつも量子力学の真空場の「ゼロ点振動」を思い浮かべます。このゼロは何もない、空っぽという意味ではありません。その揺らぎは、原子に捕まっている励起電子が光を放つ自然放出を誘起し、粒子と反粒子の生成消滅を引き起こすものです。電磁波のエネルギー測定では、基準との差だけが問題なので、通常はこのゼロ点振動は気にしなくてもいい、講義でもそう説明しています。しかし、重力の効果も含めるとエネルギーの絶対値が問題になるので、無視できなくなります。たとえば2枚の金属板を接近させると電磁場のゼロ点振動のエネルギーが隙間の距離に依存することになり、金属の間にカシミール力とよばれる力が生まれます。この効果はとても小さいので、その検出には注意深く精密な実験が必要となります。私の長年の友人であるカリフォルニア大学リバーサイド校のモヒディーン(U.Mohedeen)教授はこれをライフワークとしています。彼は10年がかりで微小な金属球と金属板の間に働く力を原子間力顕微鏡の原理を用いて精密に測定し、ゼロ点振動のエネルギーを捉えることに成功しています。

皆さんも、研究が言葉として結晶化し論文にまとまる前の段階でゆれ動き、さまざまな悩みと向かいあってきたのではないでしょうか。じっくりと考え、言葉を探っている姿は、ゼロ点振動のように、傍からは何もない状態に見えます。しかし、それは新しい知を生み出すために不可欠のプロセスなのです。大学院での研究生活を通して皆さんは、そうしたゼロ点振動の力を経験されたのではないでしょうか。

プリンストン高等研究所の初代所長のエイブラハム・フレクスナーは「科学の歴史を通して、後に人類にとって有益だと判明する真に重大な発見のほとんどは、有用性を追う人々ではなく、単に自らの好奇心を満たそうとした人々によってなされた」と述べ、教育機関は好奇心の育成に努めるべきだと主張しています。皆さんも本学での生活のなかで、何かに熱狂的に取り組んでいる友人や海外の研究者に驚き、いつの間にか興味を持つようになった経験があるかもしれません。好奇心を育むことは多様なゼロを豊かにすることなのです。

残念ながら、社会には見える「1」になった成果しか評価しない人びともいます。高度経済成長期に1を10にすること、すでに実現した10を100に増やすことが歓迎されたのは、成長の道筋がはっきりしていたからです。

しかし、現代は予測困難な課題が次々と生まれる変化の時代です。課題が浮かびあがってきてから、これまで通りの対応をしても慌てるだけです。研究者の好奇心のエネルギーを秘めた「多様なゼロ」をたくさんそろえておくことが、なにより重要なのです。つまり勝負どころは「ゼロから1」をさまざまな領域で創出する豊かな苗床と機動力なのです。

振り返れば東京大学創設当時の明治初期も、第二次世界大戦からの復興期も、激動の時代でした。先達は新たな社会を創るために、新たな学知の場として東京大学をゼロから立ち上げ、試行錯誤を続けてきました。その、いわばゼロの力こそが、激動の時代のさなかにある今、大学の持つ本来的で最も大切な価値だといえるでしょう。

東京大学にはそのゼロの力が豊富に備わっているということを、私が総長としてさまざまな人びとと出会うなかで何度も実感しました。それは「いつか1に変わりうるゼロ」であり、新しい知の源泉です。しかし無造作にぼうっとしていると見逃してしまうかもしれません。見逃さないためには、自分の考えや興味関心とは異なることでもその場で切り捨てず、対話を続ける、その大切さも学びました。あることに人生をかけ熱心にやっている方は、そこに必ず面白さを感じています。それこそがゼロの力であり、それを主体的に育むことが大切なのです。そのためには、いつか1に変わりうるゼロの兆しを見極め、ワクワクしながら飛びつく好奇心と、そのゼロの力をまわりでも支え続けるコミュニティの共感力が必要です。他者が感じている面白さを、対話を通して自分事としてとらえること、つまり好奇心と共感性が大学における創造の基盤なのです。修了していく皆さんもまた、この東京大学での経験を忘れないでいてほしいと思います。

まだ見ぬ未来を皆さんがより良くするためには、さまざまなチャレンジが必要です。大学はその実験的な試みを、ここに集う学生や研究者と共有する、いわば劇場空間でもあります。この学芸の劇場には多様な演目があり、個性的な演者が登場し、社会からさまざまな背景を持つ観客が出入りします。皆さんも、異なる価値観に驚き、圧倒され、時には居心地の悪い思いをしたことがあったかもしれません。しかしながら、世の中をより良い社会とするための道筋は、決して楽に歩めるものではありません。コロナ禍で加速したデジタル革新は、一歩道を誤ると一部の企業や国家がデータを独占し、データを持つ者と持たざる者に決定的な断絶や格差が生まれる「デジタル独占社会」に転落してしまいます。他人事を自分事として捉えることは簡単ではないからです。私自身総長を務めるなかで、ときに恥ずかしい思いをし、ヒヤッとしながら多くのことを学んできました。多様性を真に尊重するということは、言葉で言うほどたやすいことではなく、自らしっかり意識し常に努力して行動しなくては、育たないものだと痛感しました。しかし、自分と離れた立場からも見ることができ、多様な人びとと対話することができる場を持つことは、かけがえのない財産となるものだと確信しています。

この告辞は私が総長として伝える最後のメッセージとなります。最後に少し、舞台裏の話をしましょう。私のこれまでの式辞や告辞は、じつは本学の多様な学問分野の、数多くの教員との対話と熟議を通して練り上げられたものなのです。私は総長として東京大学が長年蓄積してきた豊かな学問に直接触れる機会に恵まれました。それらはどれも、とても新鮮な出会いでした。その知の魅力とそれが持つ力を、入学や卒業の機会に皆さんに伝えたいと思い至ったのです。さまざまに専門を極めてきた知のプロフェッショナル同士の議論によって、発想のシナジーを生み出す時間は、いつも心から楽しく、私が掲げてきた協創の神髄を自ら体感するものでした。物理学の本ばかりが並んでいた私の書斎の本棚も、言語学、歴史、経済学、社会学、生命科学、情報学など多様で豊かな姿になりました。お付き合い頂いた、延べ100人以上の先生方には、この場を借りて感謝と御礼を申し上げます。東京大学総長の6年間は、私のこれまでの人生のなかで最も贅沢な時間だったと噛みしめています。

本日東京大学を卒業する皆さんは、もはや見ているだけの観客でも、台本をなぞるだけの演者でもありません。皆さん自身の人生の脚本家となり、自分の活動領域を超えた高さから俯瞰する力、他人事を自分事としてとらえる力、そして現在だけでなく、過去から未来への流れをとらえる力を大切にし、社会のなかでより良い未来に向けた変革を、先導してほしいと強く願っています。そして好奇心を充電し、さらに磨いてみたくなった時には、いつでも東京大学を訪れてください。

多様なゼロからの発見に満ちた喜びの場として、東京大学が一層発展することを願いつつ、また新たな世界を良きものとする知のプロフェッショナルとして、共に社会を駆動していくという決意を携えて、私も皆さんと共に、卒業したいと思います。

本日は誠におめでとうございます。

令和3年3月19日
東京大学総長  五神 真

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